東日本大震災
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2011年に動員した自衛隊員は「延べ」1,058万人[注 18](1日の最大派遣人員約10万7000人)である[341]。自衛隊員23万人のほぼ半数を投入した。

自衛隊[342]は発災から2か月間、10万人態勢で復興支援を行ってきたが、2011年5月2日に国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンの米軍による暗殺が発表されたことを受け、国内でのテロ活動の阻止にも隊力を使用する必要が生じたことから、段階的に派遣の規模を縮小する方針とした。航空自衛隊は当初の規模の半分に縮小している[343]

派遣勢力は最大時で、人員約107,000人(陸上自衛隊約70,000人、海上自衛隊約15,000人、航空自衛隊約21,600人、福島第一原発対処約500人)、航空機約540機、艦艇59隻であった。発災から6月11日までの3か月の派遣規模は、人員延べ約868万7000人、航空機同約4万1000機、艦艇同約4,100隻に達した。主な成果は、人命救助1万9286人、遺体収容は9,487体。物資などの輸送は約11,500 t、医療チームなどの輸送は18,310人、患者輸送175人。被災者の生活支援面では、給水支援が約32,820t、給食支援が約4,477,440食、燃料支援が約1,400 kL。このほか入浴支援は約854,980人、衛生など支援は約23,370人となっている[344]。震災を目撃したアメリカ海兵隊幹部たちは、もしアメリカ海兵隊のような軍事能力を持つ組織が日本にあったなら、数千名の命を救えたと指摘した[345]

7月1日に防衛相の北澤俊美が君塚東北方面総監に対し、災統合任務部隊の解散を命じた[346]。災統合任務部隊の編成解組後現地で支援任務を行ってきた第9師団は7月26日に岩手県内[347]第6師団は7月31日付けで宮城県内での支援任務を終了した[348]。中央即応集団司令官を長として福島第一原子力発電所事故の対応に当たってきた部隊は2011年12月26日をもって撤収し、防衛省・自衛隊による一連の派遣が終了した[349]

ロシア連邦軍および中国人民解放軍は、東日本大震災の発災直後から偵察機戦闘機を波状的に日本の防空識別圏内に飛来させた。自衛隊は、災害派遣と並行して戦闘機によるスクランブル発進を実施して対処した。両国軍用機による日本の防空識別圏内への飛来はその後も発生し、特にロシア軍は放射能測定を理由に東北地方沖合に何回も航空機を飛来させている。
自衛隊の損害

陸上自衛隊東北方面隊管内にある宮城県の多賀城駐屯地[350]や航空自衛隊松島基地は、震災後の津波によって浸水し、施設や装備に大きな被害を受けた。そのほか東北地方に所在する他の陸海空自衛隊の基地・駐屯地においても、施設や設備に多数の損害を受けた。

松島基地では駐機場および格納庫に駐機していた航空機28機(F-2B戦闘機×18機、T-4練習機×4機、U-125救難捜索機×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)すべてが水没するなどの被害を受けた[351]。これにより第4航空団は救援活動を行おうにも手も足も出ない状況に陥った。

また、仙台空港において整備中であった、陸上自衛隊第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊所属のEC225LP型1機が津波による空港の浸水によって水没し、全損となった。自衛隊の派遣場所
自衛隊員の災害関連死

震災発生翌日の12日に駐屯地を出発し、15日から作業に従事していた50歳代の曹長(陸上自衛隊・旭川駐屯地所属)が、4月1日、死亡している[352][353]。死因は過労死の可能性があるとされている[354]。曹長が所属していた第2特科連隊連隊長は曹長の死亡について、「誠に残念で、ご冥福をお祈りする。災害派遣活動との因果関係を調査し、原因を究明したい」と述べた[355]4月2日、防衛省は同曹長を1日付で准尉に特別昇任させることを決めた[356]。15日には遠野市の指揮所で運用調整に当たっていた第9施設大隊所属の1等陸曹が脳幹出血で死亡[357]、防衛省は同日付で1曹を曹長に特別昇任させた[358]。1曹が所属していた第9施設大隊の大隊長は、「大変残念。倒れた隊員の復興に懸ける気持ちを受け継ぎ、全力で活動するとともに、隊員の健康管理に万全を期す」と述べた[358]。5月27日未明には第18普通科連隊所属の3等陸曹が死亡。本震災における自衛隊員の災害関連死は3人目となった[359]
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