CM枠が復帰してからも多くの企業が震災を考慮して自粛したため、大量に生じたCM枠の空きを埋めるためにACジャパンの公共広告4種類が高頻度で繰り返し放送される状態となった[279][280]。この大量放送によって、視聴者からACジャパンへの問い合わせ・クレームが殺到した一方、CM好感度ランキングでACジャパンが首位を獲得するという現象もあった[277][280][281]。この大規模な自粛は、震災以降日本国内に広まった「自粛ムード」のひとつではあるが、諸外国からは特異な現象として指摘される例もあったという[282][283]。
岩手・秋田・宮城・福島・茨城の各県では、臨時災害放送局として既存のコミュニティ放送局が出力を増力したほか、自治体が災害FMラジオ局を開設した[284]。そのほかでは、在京5局で史上初のラジオ災害情報交差点発動が行われただけでなく、3月13日17時からインターネットサイマル配信サービスradikoのエリア制限を解除して全国で関東・関西地区の民放13局が聴取可能とし[注 16]、3月25日10時からは中京地区の6局も加わった。この緊急対応は、関西・中京地区の12局で3月31日まで、関東地区の7局で4月11日まで継続された[285][286][287]。東北6県と関東地方の一部の民放FM局をパソコンやスマートフォンで無料聴取するサービスも提供された[288]。民放AM放送でも、地震後1週間程度の期間、Ustreamやニコニコ動画(ニコニコ生放送)、自前のWebサイトなどでサイマル配信を実施した放送局があった[289][290][291]。短波放送でも被災地の放送を全国向けに提供する局があった[292]。
このほか、末端のアマチュア無線では多くの無線家が非常通信に呼び出しを行い、7.030MHz(指定非常通信周波数)にて情報収集、7.043MHzでの安否確認に協力しており、これによって孤立した集落が救われた例もあった[293][294][295]。
一方、地震動・液状化現象・津波により広範囲で被災した茨城県と千葉県では、地震直後の計画停電の対象エリアに茨城県潮来市や千葉県旭市が含まれるなどしたが、原因の一つとして被災状況が十分に報道されなかったことが挙げられた[296][297][298]。
また、震災によって被災地では共同アンテナが破損したほか、地上デジタル放送の普及活動が停止したため、対策として地デジ難視対策衛星放送を行った上で、2011年7月24日に予定されていた地上デジタル放送への全面移行を、岩手・宮城・福島の3県については2012年3月31日に延期した[299]。
日本国外でも、各メディアが地震関連のニュースを大きく報じた[300][301][302]。
新聞地震の影響を報じるスポーツ新聞(2011年3月12日、大阪府大阪市)
震災発生直後、全国紙やブロック紙、地方紙数紙が一斉に号外を発行した。『中日新聞』は11日付夕刊の最終版であるE版に(2)という版を設けて1面トップで報じた(ただし地震発生と(大)津波警報発表との事実のみ)。3月12日付の朝刊はスポーツ紙を含めた各紙とも、1面から最終面まで最大級の見出しと写真で震災の状況を報道した。また、日曜日の夕刊は通常は休刊であるが、『読売新聞』と『朝日新聞』は3月13日(震災発生から3日目の日曜日)に「特別夕刊」を発行した。3月12日からしばらくの間、最終面に掲載されている番組表を中面に移設して震災関連の報道を優先した新聞社も数多く存在した(全国紙は3月末まで番組表を中面に移設)[303]。震災直後に発行された新聞では紙面のほとんどが震災報道に当てられたほか、ページ数もおおよそ半分に削減され[注 17]、新聞広告も自粛された。
被災地に立地する新聞社は、災害援助協定を結ぶ近隣地域の新聞社に制作・印刷を委託するなどして新聞発行を継続した[304][305]。