東急8000系電車
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^ デハ8401,8402→デハ8281,8282→デハ8254,8255に改番。
^ サハ8301 - 8303はデハ8257 - 8259に改番。
^ サハ8304,8305はデハ8260,8261に改番。
^ サハ8306 - 8308はデハ8262 - 8264に改番。
^ デハ8401 - 8407はデハ8162 - 8168に改番。

増備による変更点

本系列の外観は一見すると画一的であるが、雨樋・屋根周辺処理・車側灯の形状・側面行先表示器の横幅の相違で、多様なバリエーションが存在する。

1次車では前面の貫通扉を囲う幌枠が角ばった形状であったが、2次車以降は角部分に丸みが付いたものとなる[18]
行先表示器

当初の行先表示器は前面が手動式、側面は小形の電照式の種別表示器であり、「快速・急行」のどちらかが点灯するもの(各停は消灯)であった[19]。10次車より側面行先表示器が大型化され、1980年(昭和55年)より前面・側面ともに電動式の方向幕への改造・使用が開始された。当初は8500系編成から復帰した先頭車を両端に配した編成から実施され、それ以外の編成でも順次改造が進み、1985年(昭和60年)までに全車の電動化が完了した。

本系列に前面種別表示器はなく、急行運用時(東横線)には長方形の「急行板」を、通勤快速運用時(田園都市線)には丸形の「快速板」を車掌台側の前面窓下に掲出していた[18][注釈 2]運行番号の表示は車内の車掌台側前面窓に「運行番号札」を掲出していたが、1976年(昭和51年)末から手動式の運行番号表示器が新設された[18]
ランボード

屋根仕上げは、1次車 - 12次車まで屋根布を貼り付ける方式であったが、13次車からは絶縁塗料による塗り屋根方式となる。

屋根端にはランボードが設置されており、1・2次車では集電装置横に短いものが設置されていた[14]。新製冷房車となる3次車以降[注釈 3]では車体全長にわたってランボードが設置された[14]。屋根曲線の変更された軽量車(後述)では、1・2次車と同じく集電装置横に短いものが設置される[14]

1次車は冷房改造時に車体全長にわたって取り付け足のあるランボードが設置された[14]。また、冷房装置キセはクハ8000形2次車では乗務員室に直接冷風を導くため、この箇所の冷房装置が510 mm乗務員室側に寄った変則配置であった[14]。ただし、後年に冷房改造した1次車では均等な配置となった[14]
軽量試作車軽量ステンレス車体の試作車
(2003年7月12日 多摩川駅)

1978年(昭和53年)秋に、従来のステンレスカーよりもで約2.0 tの軽量化を図った「軽量ステンレスカー」の試作車が製造された[20][21]。デハ8200形に相当する車両であるが、新形式としてデハ8400形8401・8402号を名乗った[21]

この2両は、側窓上と側窓下のコルゲート(歪<ひずみ>を目立たなくする波板)は廃止され、ビードプレス加工と呼ばれる平板に近い形状とし、外観見付けと清掃性を大幅に向上させた[20][22]。車体に使用される部材の厚みを変更することで、重量の軽量化を図った[21]。側面の雨樋は窓上から屋根と側板の接合部に、妻面は塩ビ管からステンレス角管とした[21]

屋根の曲線を5,000R→7,000Rに、屋根板と側板の接合部の曲線を500R→350Rに変更したほか、側板は下部を3,000Rの曲線で絞っている[21]。ただし、客用ドア下部(クツズリ)を出っ張らせることで、従来車と同等の幅を確保している[21]。側窓は、現物合わせで組み立てるものではなく、事前にアウトワークで組み立てた側窓ユニットを、車体に搬入して取り付ける合理的な方式とした[20][21]

車内は大きな変更点はないが、座席は出入口横までの長い8人掛けから7人掛けと短くして、出入口横の立ち席スペースを確保した[20][21]。デハ8402は営業運転開始前に、東急車輌製造製の試作ボルスタレス台車(TS-1001形)の試験走行に使用された[23]。「東急6000系電車 (初代)#ボルスタレス台車の試験」も参照

東横線の8027F・8029Fの2号車(渋谷寄りから2両目)に組み込まれ[21]、編成が運用を離脱するまで不動であった。新造時はデハ8400形8401・8402号とされたが、1M車デハ8400形の製造に伴い8281・8282号に改番、さらに8090系の増備に伴い、8254・8255号に再改番された[24]。1978年(昭和53年)末から営業運転に使用され、試験結果は2年後に量産車として8090系が製造されたほか、1981年(昭和56年)以降の増備車はコルゲート板ながら軽量構造が採用された[24]
軽量車

8090系の量産以降に製造された車両(12-3次車のデハ8100形と13次車以降)は、外見はそれほど変わらないものの、軽量ステンレス車体となった[25][26]。屋根の断面形状と取り付け部の曲線が変更され(前項の8401・8402号と同じ)、屋根の絶縁材の範囲が狭まり、屋根肩の一部がステンレスむき出しとなった[26]。しかし、編成美の関係から14次車以降は再び屋根肩にも絶縁加工が施された(本系列では8256・8169号のみ)。

当初は、扉間の座席を8人掛け、車端部の座席を4人掛けとしていたが、1980年製の車両からはそれぞれ7人掛けと3人掛けに変更され、踊り場スペースと1人あたりの座席幅が拡大されている。座席定員は以下のとおり[27]

 座席長さ座席定員1人当たりの幅 備考
1 - 12次車
(12次-2まで)側扉間3,350 mm8人掛け419 mmこのグループは非軽量車
車端部1,725 mm4人掛け431 mm 
軽量試作車
12次-3・13次車側扉間3,010 mm7人掛け430 mm以降は軽量車体
車端部1,555 mm3人掛け518 mm実際には3.5人掛けの長さ
16次車以降
(8256・8169号)側扉間3,010 mm7人掛け430 mm 
車端部1,440 mm3人掛け480 mm図面上では1,455 mmの長さ

改造工事
8500系組込み改造

一時期、
8500系の新造両数を抑制するために田園都市線の同系に組み込まれて運用されていた車両が存在した。中間車の代用として使用された先頭車両(8033 - 8044)には晩年まで貫通幌を取り付けていたボルトの跡が残っていた(更新車は撤去)ほか、8033 - 8042には半蔵門線用の誘導無線アンテナ設置跡があった[28]。これらは後に東横線などの8000系編成に復帰している。逆に8043F - 51Fの5両編成化当初、8500系のデハ8700形がデハ8100形の代わりに組み込まれていた[29]

冷房化改造

前述の冷房装置の項目を参照。

台車交換

クハ8000形の台車のみ軸バネを省略したパイオニアIIIタイプのPIII-708形台車であったが、乗り心地の向上を目的として1990年 - 1993年に電動車に準じたTS-815F形に交換された(前述の台車項目)。
補助電源装置

東横線用の8000系では1990年代に入り、電源装置の集約化を目的にクハ8000形のMGと6号車のデハ8200形に搭載した170 kVAのSIVに統一し、従来の10 kVA SIVはすべて撤去されている。

8031Fのクハ8031号車は2001年(平成13年)に当時国内最大容量の250 kVAIGBT SIVを試験的に搭載した。この結果を元に新5000系において同タイプのSIVが正式に採用された。
室内更新8000系更新車
(2007年6月7日 自由が丘駅


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