東急田園都市線
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ただ、沿線住民からは全線地下化の要望が強く[15]、またルートの違う旧玉川線が残り、首都高速3号渋谷線建設の支障となるため[要出典]、そして国道246号の駒沢 - 瀬田間は1964年東京オリンピックのために先行整備されており、もはや地下線工事を行うことが不可能であったことから旧線直下へ迂回することとなり[16]、結果的に全線が旧玉川線の地下を走ることとなった。そのため、新玉川線区間は玉川通りとルートが一致せず、玉川通り旧道に沿っている。このことで騒音や日照公害は問題にならなかったが、後の沿線人口増加による混雑激化への対応は、両数増強や新ATC導入による閉塞区間短縮(前の列車に接近できる距離を短縮して増発を可能にする)などに限られた[注 4][17]
大井町線の分離

新玉川線開通当初は新玉川線と田園都市線の直通運転を行っておらず、二子玉川園を境に運転系統は分断されていたが、開通7か月後の1977年11月からの日中限定の直通快速の運転を経て、1979年(昭和54年)8月12日に二子玉川園駅以西の田園都市線から新玉川線への全面直通運転を開始した。これにより田園都市線のうち、大井町 - 二子玉川園間は同日から大井町線に改称した上で、朝と深夜の一部に鷺沼直通を残して運転系統を分離した(同路線は溝ノ口線を編入する以前に戻ったことになる)。この結果、田園都市線は二子玉川園 - つきみ野間の路線となる。同時に田園都市線から新玉川線を経由し、渋谷駅からさらに半蔵門線へ直通運転を行う現在の運転系統が確立する。この一体で運転される両線を総称して田玉線(でんたません)とも呼んだ。半蔵門線側は直通運転開始当初青山一丁目駅止まりであったが、1979年9月21日永田町駅1982年12月9日半蔵門駅1989年1月26日三越前駅1990年11月28日水天宮前駅と、順次延長されていった。

1995年平成7年)9月1日から2005年(平成17年)3月20日までは、二子玉川 - 溝の口間の複々線化工事のために特定都市鉄道整備促進特別措置法が適用され、渋谷 - 溝の口間を経路に含むと普通運賃で10円の特別加算運賃が適用されていた[18]
新玉川線の編入から現在

2000年(平成12年)8月6日には新玉川線が田園都市線に編入され、渋谷駅から中央林間駅までが「田園都市線」となり、同時に二子玉川園駅を二子玉川駅に改称した。前者は、1979年8月からの全面直通運転開始以降、田園都市線と新玉川線が事実上ひとつの路線であるにもかかわらず、二子玉川駅を境に異なる二つの名称の路線が存在し、利用者から「わかりにくい」という意見があったことなどから行った措置である。後者は、駅名の由来となった遊園地である二子玉川園1985年(昭和60年)に既に閉園しており、地元住民から駅名変更の要望があったためである[19]

2003年(平成15年)3月19日からは、半蔵門線の押上駅への延伸に伴い同線を介して東武伊勢崎線・日光線との相互直通運転を開始し、現在の運行体系が確立された[20]。利用者数の増加に伴い通勤時間帯では混雑が顕著となってきていたことから、混雑感の軽減等を目的として2005年(平成17年)2月14日より5000系の一部に6ドア車を導入した[21]ほか、同年5月9日には東急電鉄の路線として初めて、平日の一部時間帯で女性専用車両の設定が開始された。加えて、都心方面へのルートを増やすことでの混雑緩和策として二子玉川 - 溝の口間の複々線化(大井町線の延伸)も進められ、2002年(平成14年)からの6年間に渡る工事の末、2009年(平成21年)7月11日に供用を開始した[22]
将来

事業化されていないが、2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号2016年(平成28年)の交通政策審議会答申第198号では、溝の口 - 鷺沼間の複々線区間延伸が答申されている[23][24]
年表

1927年昭和2年)7月15日 玉川電気鉄道(玉電)溝ノ口線として二子玉川 - 溝ノ口間開業[4]

1943年(昭和18年)7月1日 陸軍の要請により同区間を大井町線に編入させ、軌間を1372mmから1067mmに改軌する。

1945年(昭和20年)10月1日 二子玉川 - 溝ノ口間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に転換。

1954年(昭和29年)8月1日 二子玉川駅を二子玉川園駅に改称。

1956年(昭和31年)

2月9日 渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設免許。

7月23日 渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設免許交付。

9月29日 溝ノ口 - 長津田間地方鉄道敷設免許申請(銀座線規格)。


1957年(昭和32年)1月14日 地方鉄道敷設免許申請を溝ノ口 - 中央林間間に変更(大井町線規格)。

1960年(昭和35年)

2月6日 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設工事施行認可申請。

9月20日 溝ノ口 - 中央林間間地方鉄道敷設免許交付。


1962年(昭和37年)9月18日 溝ノ口 - 長津田間分割工事施行認可申請。

1963年(昭和38年)

5月15日 溝ノ口 - 長津田間分割工事施行認可。

10月11日 溝ノ口 - 長津田間着工、大井町線を田園都市線に改称。

12月1日 保安度向上のため、ATSの前身となる車内警報装置を導入[25]


1964年(昭和39年)2月26日 新玉川線起工式挙行。

1966年(昭和41年)

1月20日 溝ノ口駅を溝の口駅に改称。

3月19日 二子玉川園 - 二子新地前間専用橋が開通(それまでは二子橋上の単線併用軌道だった)[7]

4月1日 溝の口 - 長津田間開業[8]


1968年(昭和43年)4月1日 長津田 - つくし野間開業[5]

1969年(昭和44年)10月1日 さらなる保安度向上のため、ATS(東急ATS)を導入[25]

1972年(昭和47年)4月1日 つくし野 - すずかけ台間開業。

1976年(昭和51年)10月15日 すずかけ台 - つきみ野間開業、つきみ野駅構内を除き全線複線化(つきみ野駅構内は単線)

1977年(昭和52年)

4月7日 渋谷 - 二子玉川園間が新玉川線として開業(渋谷駅は営団地下鉄が建設)。加算運賃区間となる。

5月25日 あざみ野駅開業。

11月16日 田園都市線と新玉川線を直通する快速列車を運転開始。

12月16日 二子新地前駅を二子新地駅に改称。


1978年(昭和53年)8月1日 新玉川線が営団地下鉄(現・東京地下鉄半蔵門線と直通運転開始。渋谷駅の業務を東急電鉄から営団地下鉄に移管。

1979年(昭和54年)8月12日 ダイヤ改正を実施。田園都市線から新玉川線を経由して半蔵門線方面へ全列車が直通運転を開始。同時に大井町 - 二子玉川園間を大井町線として分離。朝ラッシュ時上りつきみ野→大井町間の快速を廃止。当時の最高速度は100km/h。

1981年(昭和56年)11月30日 二子玉川園駅 - つきみ野駅間の荷物輸送を廃止[26]

1983年(昭和58年)1月22日 ダイヤ改正を実施。渋谷 - 長津田間で急行運転開始[27]


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