東急田園都市線
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渋谷 - 二子玉川(当時は二子玉川園)間は1977年(昭和52年)4月7日に開通した[12]。これは路面電車1969年(昭和44年)5月11日に廃止された玉川線を継承する新玉川線として開通した路線である。渋谷 - 駒沢大学間は玉川通り(国道246号)に首都高速3号渋谷線と一体的に建設された。

この路線は当初、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄、以下本項において同じ)銀座線を渋谷から二子玉川園に延長する形で計画されたが[13]、後に東京11号線(渋谷駅以東は営団半蔵門線)の一部に変更して建設された。この計画変更の理由には、第一に軌間や集電方式の違いから二子玉川園以西に乗り入れることができず大井町線のバイパス効果が薄まってしまうこと、第二に銀座線の混雑が相当激しく、これに直通させるとなると銀座線側にもトンネルの拡幅および新設(付け替え)をした上で編成増強などによる輸送力増強が必要であり、新線建設と同等程度の費用がかかることが判明したことが挙げられる[要出典]。莫大な資金を要する工事であり、当時の東急社長の五島昇の政界への働きかけもあって、鉄道公団(現・鉄道・運輸機構)の「P線方式」を初めて活用した。

前述の計画では、田園都市線(現在の大井町線)は旗の台から池上線に入り、戸越銀座 - 大崎広小路間の桐ケ谷から分岐させ、東京6号線(都営地下鉄三田線)に乗り入れる計画であった(後に目蒲線〔現在の目黒線〕に乗り入れる計画に変更)。詳細は「都営地下鉄三田線#建設経緯」を参照。

新玉川線の建設が計画された際に、当初は現在の国道246号より南側のルートが構想されたものの、すでに用地買収が困難であったため[14]三軒茶屋 - 用賀間で蛇崩川の上を高架で走り、弦巻を経由するルートが計画された。ただ、沿線住民からは全線地下化の要望が強く[15]、またルートの違う旧玉川線が残り、首都高速3号渋谷線建設の支障となるため[要出典]、そして国道246号の駒沢 - 瀬田間は1964年東京オリンピックのために先行整備されており、もはや地下線工事を行うことが不可能であったことから旧線直下へ迂回することとなり[16]、結果的に全線が旧玉川線の地下を走ることとなった。そのため、新玉川線区間は玉川通りとルートが一致せず、玉川通り旧道に沿っている。このことで騒音や日照公害は問題にならなかったが、後の沿線人口増加による混雑激化への対応は、両数増強や新ATC導入による閉塞区間短縮(前の列車に接近できる距離を短縮して増発を可能にする)などに限られた[注 4][17]
大井町線の分離

新玉川線開通当初は新玉川線と田園都市線の直通運転を行っておらず、二子玉川園を境に運転系統は分断されていたが、開通7か月後の1977年11月からの日中限定の直通快速の運転を経て、1979年(昭和54年)8月12日に二子玉川園駅以西の田園都市線から新玉川線への全面直通運転を開始した。これにより田園都市線のうち、大井町 - 二子玉川園間は同日から大井町線に改称した上で、朝と深夜の一部に鷺沼直通を残して運転系統を分離した(同路線は溝ノ口線を編入する以前に戻ったことになる)。この結果、田園都市線は二子玉川園 - つきみ野間の路線となる。同時に田園都市線から新玉川線を経由し、渋谷駅からさらに半蔵門線へ直通運転を行う現在の運転系統が確立する。この一体で運転される両線を総称して田玉線(でんたません)とも呼んだ。半蔵門線側は直通運転開始当初青山一丁目駅止まりであったが、1979年9月21日永田町駅1982年12月9日半蔵門駅1989年1月26日三越前駅1990年11月28日水天宮前駅と、順次延長されていった。

1995年平成7年)9月1日から2005年(平成17年)3月20日までは、二子玉川 - 溝の口間の複々線化工事のために特定都市鉄道整備促進特別措置法が適用され、渋谷 - 溝の口間を経路に含むと普通運賃で10円の特別加算運賃が適用されていた[18]
新玉川線の編入から現在

2000年(平成12年)8月6日には新玉川線が田園都市線に編入され、渋谷駅から中央林間駅までが「田園都市線」となり、同時に二子玉川園駅を二子玉川駅に改称した。前者は、1979年8月からの全面直通運転開始以降、田園都市線と新玉川線が事実上ひとつの路線であるにもかかわらず、二子玉川駅を境に異なる二つの名称の路線が存在し、利用者から「わかりにくい」という意見があったことなどから行った措置である。後者は、駅名の由来となった遊園地である二子玉川園1985年(昭和60年)に既に閉園しており、地元住民から駅名変更の要望があったためである[19]

2003年(平成15年)3月19日からは、半蔵門線の押上駅への延伸に伴い同線を介して東武伊勢崎線・日光線との相互直通運転を開始し、現在の運行体系が確立された[20]。利用者数の増加に伴い通勤時間帯では混雑が顕著となってきていたことから、混雑感の軽減等を目的として2005年(平成17年)2月14日より5000系の一部に6ドア車を導入した[21]ほか、同年5月9日には東急電鉄の路線として初めて、平日の一部時間帯で女性専用車両の設定が開始された。加えて、都心方面へのルートを増やすことでの混雑緩和策として二子玉川 - 溝の口間の複々線化(大井町線の延伸)も進められ、2002年(平成14年)からの6年間に渡る工事の末、2009年(平成21年)7月11日に供用を開始した[22]
将来

事業化されていないが、2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号2016年(平成28年)の交通政策審議会答申第198号では、溝の口 - 鷺沼間の複々線区間延伸が答申されている[23][24]
年表

1927年昭和2年)7月15日 玉川電気鉄道(玉電)溝ノ口線として二子玉川 - 溝ノ口間開業[4]

1943年(昭和18年)7月1日 陸軍の要請により同区間を大井町線に編入させ、軌間を1372mmから1067mmに改軌する。

1945年(昭和20年)10月1日 二子玉川 - 溝ノ口間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に転換。

1954年(昭和29年)8月1日 二子玉川駅を二子玉川園駅に改称。

1956年(昭和31年)

2月9日 渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設免許。

7月23日 渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設免許交付。

9月29日 溝ノ口 - 長津田間地方鉄道敷設免許申請(銀座線規格)。


1957年(昭和32年)1月14日 地方鉄道敷設免許申請を溝ノ口 - 中央林間間に変更(大井町線規格)。

1960年(昭和35年)

2月6日 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間地方鉄道敷設工事施行認可申請。

9月20日 溝ノ口 - 中央林間間地方鉄道敷設免許交付。


1962年(昭和37年)9月18日 溝ノ口 - 長津田間分割工事施行認可申請。

1963年(昭和38年)

5月15日 溝ノ口 - 長津田間分割工事施行認可。

10月11日 溝ノ口 - 長津田間着工、大井町線を田園都市線に改称。

12月1日 保安度向上のため、ATSの前身となる車内警報装置を導入[25]


1964年(昭和39年)2月26日 新玉川線起工式挙行。


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