東急玉川線
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二子玉川園駅 - 砧本村間のルートは、砧本村方向は廃線跡の南側・玉川高島屋北側の区道を吉沢まで進み、吉沢から廃線跡が転換された道路を進み砧本村にいたるルートで、二子玉川方向は、廃線跡から外れ天神森橋を渡り多摩堤通りを二子橋東詰まで進むルートを取り、8の字型の運行形態となった。「東急バス大橋営業所#新道線・砧線」「東急バス高津営業所#新道線」を参照。

1977年(昭和52年)、渋谷 - 二子玉川園間に新玉川線が開通し、これにより、上記に列挙した系統のうち渋01、渋02、渋03、渋14および渋12の急行運転は廃止され、渋13、黒03ものち廃止された。渋04は渋谷駅 - 二子玉川園駅に短縮(渋04→渋03)された後に廃止されている。渋14は用賀駅 - 向ヶ丘遊園駅に短縮・変更され(渋14→向02)、後に二子玉川園駅 - 向ヶ丘遊園駅に短縮された。玉06は二子玉川発着(駅前に入らない)から、のち二子玉川園駅発着に変更された。
代替バス以外のバス路線

玉川通りには、玉電代替路線以外にも多くのバス路線があり、それらも玉電代替の一翼を担った。
東82
玉川電気鉄道は、駒沢駅から分かれて深沢方面へ向かうバス路線を運行した。この路線は戦後、復旧の際に東京急行電鉄と
東京都交通局都営バス)との共同運行となり、玉川線廃止時は等々力線(東82系統)として、等々力と東京駅八重洲口の間で運行されていた。同路線は、渋谷駅と駒沢の間で玉川線と完全に並行していた。「東急バス瀬田営業所#等々力線」「都営バス渋谷営業所#東82系統」を参照。
東83
東京駅と桜新町の間を片道首都高速道路経由で結ぶ東83系統が東急と都営の共同で運行された。「都営バス渋谷営業所#東83系統」「東急バス駒沢営業所#高速渋谷線」を参照。
渋11
東京急行電鉄は駒沢オリンピック公園へのアクセスとなるグランド線(渋11系統)を運行しており、渋谷と真中の間が玉川線と被っていた。「東急バス淡島営業所#グランド線」を参照。
三軒茶屋より世田谷通り方面
渋谷と三軒茶屋の間には、三軒茶屋から世田谷通りに入る東急バス・小田急バスの路線も多く運行され、1974年(昭和49年)までは都営バス共管路線も存在した。現在は渋23、渋24、渋26などが運行されている。「東急バス弦巻営業所#松陰線」を参照。
駅一覧

〔〕内は路線廃止時以前に廃止された電停、駅[注釈 7]
玉川線

渋谷(しぶや) - 〔道玄坂上〕(どうげんざかうえ) - 上通(かみどおり)- 〔大坂上〕(おおさかうえ) - 大橋(おおはし) - 玉電池尻(たまでんいけじり/旧名:世田谷→池尻) - 三宿(みしゅく/旧名:池尻) - 〔東太子堂〕(ひがしたいしどう/旧名:太子堂) - 三軒茶屋(さんげんぢゃや) - 玉電中里(たまでんなかざと/旧名:中里) - 上馬(かみうま/旧名:上馬引沢) - 真中(まなか) - 駒沢(こまざわ) - 新町(しんまち/東京横浜電鉄合併前:弦巻) - 桜新町(さくらしんまち/旧名:新町) - 用賀(ようが) - 玉電瀬田(たまでんせた/旧名:瀬田前→瀬田) - 〔玉川遊園〕(たまがわゆうえん/旧名:身延山別院前) - 二子玉川園(ふたこたまがわえん/旧名:玉川→よみうり遊園→二子読売園→二子玉川)[注釈 8]
砧線

二子玉川園 - 中耕地(なかこうち) - 吉沢(よしざわ) - 〔伊勢宮河原〕(いせみやがわら) - 〔大蔵〕(おおくら)- 砧本村(きぬたほんむら/旧名:砧)
溝ノ口線

二子読売園 - 二子(ふたこ) - 高津(たかつ) - 溝ノ口(みぞのくち)
天現寺橋線

渋谷 - 稲荷橋(いなりばし) - 並木橋(なみきばし) - 渋谷区役所前(しぶやくやくしょまえ/旧名:渋谷町役場前)[注釈 9] - 比丘橋(びくばし)- 渋谷橋(しぶやばし/旧名:恵比寿駅前)[注釈 10] - 恵比寿橋(えびすばし) - 新橋(しんばし) - 豊沢橋(とよさわばし) - 天現寺橋(てんげんじばし)
中目黒線

渋谷橋 - 恵比寿駅前(えびすえきまえ)[注釈 11] - 長谷戸(ながやと) - 鎗ヶ崎(やりがさき) - 中目黒(なかめぐろ)
下高井戸線「東急世田谷線#駅一覧」を参照
玉電廃止後のイベント

2017年に玉電開業110周年を迎えたことを記念して、世田谷線で300系による「玉電110周年幸運の招き猫」と称するラッピング電車を同年9月25日から2018年3月末まで運行している[25]

「玉電110周年幸運の招き猫」(三軒茶屋駅 2017年9月撮影) 「玉電110周年幸運の招き猫」(三軒茶屋駅 2017年9月撮影)

同左、(三軒茶屋駅 2017年9月撮影) 同左、(三軒茶屋駅 2017年9月撮影)

脚注
注釈[脚注の使い方]^ 溝ノ口線については、原口隆行『日本の路面電車II』p.97(JTBISBN 4-533-03459-4)に記載のキロ程(天現寺橋 - 溝ノ口間13.9 km、渋谷 - 天現寺橋間2.7 km)、および上記玉川線のキロ程より算出。
^ 開通当初は道玄坂上を起点とした暫定開業、同年全通。
^ 桜並木を設け、のち新町は桜新町に改称されている。
^ この地区は、当時の玉川電気鉄道社長津田興二の名をとり、のち津田山と呼ばれるようになった。
^ 大橋ジャンクション横に、玉電大橋車庫跡のプラットホームが再現されている。
^ 現在、玉川高島屋S.C東館の駐車場棟が区画上に斜めに建つのは、これがかつての軌道上に位置するため。
^ 通常、軌道線は「」(「停車場」)では無く「停留場」「電停」と呼ぶが、「駅」と呼ばれることもある。ただし、運行当時の玉電沿線では用賀等「駅」と呼ばれていた電停が多かった。現在の世田谷線も同様である。
^ 1955年代 - 1965年代には200型を擁して「プール行き」「直通」なる表示板を掲げた急行が夏期に運行された。停車駅は渋谷、三軒茶屋、駒沢、用賀、二子玉川であった。
^ 1932年(昭和7年)に大東京市制施行(区部拡大・35区制施行)により渋谷区が誕生すると、渋谷町役場に渋谷区役所が置かれたため、停留所名が変更された。
^ 1927年(昭和2年)に中目黒線が開通した際、恵比寿駅前停留所が新設されそれまでの恵比寿駅前停車場は渋谷橋停車場に名称を変更した。
^ 中目黒線開通前に恵比寿駅前を名乗っていた渋谷橋停留場とは異なる。

出典[脚注の使い方]^ 林順信『玉電が走った街 今昔』ISBN 4-533-03305-9 より。
^ a b c d 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c d e f g h i 『株式年鑑 昭和13年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第36回(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『株式社債年鑑. 昭和7年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第36回(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年4月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)


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