東急玉川線
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関東大震災後の市内復興に際し、それまでの木材にに替わる新しい建築材料であるコンクリートの原料となる砂利運搬には威力を発揮した。

玉川電気鉄道は路線を拡張してゆく。1925年(大正14年)、三軒茶屋 - 下高井戸間に下高井戸線(のちの世田谷線)を開業。1927年(昭和2年)には天現寺橋線渋谷橋より中目黒に至る中目黒線、玉川 - 溝ノ口間に溝ノ口線を開業した。溝ノ口線の開業時には、多摩川を渡る二子橋の建設費の一部を玉川電気鉄道が負担し、二子橋は橋の中央に線路が敷設された形態の道路・軌道の併用橋となった。1927年12月に設立された目黒玉川電気鉄道[4]は株式の大半を玉川電気鉄道が保有し[5]、役員も玉川電気鉄道の役員で占められていた[6]。しかし目黒-玉川間[7]及び清水-駒沢間[8]の免許は1935年に起業廃止となった[9]

1934年昭和9年)、二子橋より下流での砂利採取が全面禁止され、さらに玉川電気鉄道の経営権が東京横浜電鉄目黒蒲田電鉄を経営していた五島慶太らに移って以降は、砂利輸送からは撤退し、軌道線は旅客輸送が中心となっていった。1938年(昭和13年)、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併され、1942年(昭和17年)、社名変更に伴い東京急行電鉄となった。

砂利輸送から旅客輸送に軸足を移した玉川電気鉄道は、東京府世田谷区新町(現在の世田谷区深沢七丁目・八丁目付近)に東京信託を通じて住宅地を開発し[注釈 3]、沿線住民を電車利用者とする施策をとった。溝ノ口線開業の際には、溝ノ口駅付近・久地近辺の丘陵部を開発した[注釈 4]

また、玉川電気鉄道及び後身の東京急行電鉄は、旅客誘致の施策の一環として、明治期から景勝地であった玉川・瀬田地区に、多摩川の川魚を出す料亭や演芸場「玉川閣」(ぎょくせんかく)を擁する「玉川遊園地」を開設したほか、「玉川第二遊園地」(のちのよみうり遊園、「二子玉川園」)や「玉川プール」(世田谷区上野毛。東京都多摩市に移転する前の東急自動車学校があった場所)を瀬田河原に開設し、二子多摩川の兵庫島久地の梅林、二子桃林などとあわせて、玉川線・溝ノ口線を都心部からの行楽輸送の足としても機能させている。

玉川線の支線として開設された下高井戸線の三軒茶屋 - 下高井戸間は、渋谷 - 下高井戸間で直通運転がなされた。溝ノ口線は、1943年(昭和18年)、溝口周辺の軍需工場関連輸送に対応する輸送力を確保するために狭軌改軌の上、大井町から二子玉川園に至っていた鉄道線である大井町線に編入され、二子橋の併用軌道の上を大井町線の電車が走り溝ノ口まで乗り入れるようになった。天現寺橋線は、戦前は渋谷でレールがつながり直通運転されていた時期もあったが、玉電ビルディング(のちの東急百貨店東横店西館)の建設に伴い分断され、東京市電への運営委託を経て、1948年(昭和23年)に東京都に譲渡された。

1969年(昭和44年)5月11日、玉川通り(国道246号)上への首都高速3号渋谷線の建設、営団地下鉄銀座線と接続する地下鉄(のちの新玉川線、2000年8月以降の田園都市線渋谷 - 二子玉川間)建設の計画等により、下高井戸線を除いて、玉川線、砧線は全線廃止された。玉川線・砧線の廃止後、同区間の代替交通として代行バスが運行された(後述)。

下高井戸線三軒茶屋 - 下高井戸間は廃止されずに世田谷線と名を改め、2023年現在、東急電鉄唯一の軌道線として存続している。
年表

1896年(明治29年)

7月15日 (旧)玉川電気鉄道(同名の別会社)が渋谷 - 溝ノ口間の路線敷設を出願[10]

11月18日 玉川砂利電気鉄道、三宅坂 - 玉川間の路線敷設を出願[10]


1902年(明治35年)

2月8日 玉川砂利電気鉄道に対し、渋谷 - 玉川間の路線敷設が許される[10]

3月20日 玉川砂利電気鉄道、社名を玉川電気鉄道に改称[10]


1903年(明治36年)10月4日 - 玉川電気鉄道が資本金40万円で創立される[10]

1907年(明治40年)

3月6日 玉川電気鉄道の路線として道玄坂上 - 三軒茶屋間開業[10]

4月1日 三軒茶屋 - 玉川間開業[10]

8月11日 渋谷 - 道玄坂上間開業[10]


1920年(大正9年)3月27日 - 駒沢 - 用賀間複線[10]

9月11日 東京市電の規格に合わせるため、全線の軌間を1067mmから1372mmに改軌[10]

10月31日 上馬 - 駒沢間複線化。


1922年(大正11年)6月11日 天現寺橋線の渋谷 - 渋谷橋間が部分開業[11]

1923年(大正12年)2月18日 三軒茶屋 - 上馬間複線化。全線複線化完成[10]

1924年(大正13年)

3月1日 砧線の玉川 - 砧間が開業[12]

5月21日 天現寺橋線の渋谷橋 - 天現寺橋が延伸開業[13]


1925年(大正14年)

1月18日 下高井戸線の三軒茶屋 - 世田谷間が部分開業[13]

5月1日 下高井戸線の世田谷 - 下高井戸が延伸開業[14]


1927年(昭和2年)

3月29日 中目黒線の渋谷橋 - 中目黒間が開業[15]

7月15日 溝ノ口線の玉川 - 溝ノ口間が開業。玉川線全通[16]


1937年(昭和12年)

7月27日 玉川線と天現寺橋線の軌道を分離。これにより、渋谷以東は東横百貨店(のちの東急百貨店東横店東館)前に新設された東横百貨店前電停を発着することになる(現在の渋谷駅東口バスターミナル)。


1938年(昭和13年)

4月1日 玉川電気鉄道が(旧)東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄)に合併される[17]

11月19日 天現寺橋線と中目黒線が東京市電気局に運行委託される。これにより(旧)東京横浜電鉄の路線図・時刻・運賃表から渋谷以東の路線が消滅。


1939年(昭和14年)

3月10日 玉川線玉川をよみうり遊園に改称。

6月1日 渋谷駅が建設中の玉電ビル2階に移転。


1940年(昭和15年)12月1日 大井町線二子玉川・玉川線よみうり遊園を統合し二子読売園に改称。

1943年(昭和18年)7月1日 溝ノ口線(二子読売園 - 溝ノ口間)を1067mmに改軌の上、大井町線に編入。

1944年(昭和19年)10月20日 二子読売園を二子玉川に改称。

1945年(昭和20年)8月15日 砧線及び旧溝ノ口線区間を、軌道法による軌道から地方鉄道法による地方鉄道に変更。


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