東急世田谷線
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発売終了後も2033年2月28日まで使用時の運賃と額面との差額を払えば使用可能である[8]
乗降方法

下高井戸駅・三軒茶屋駅以外の駅で乗降する場合(上町駅は下高井戸方面のみ)は、2両編成の運転士がいる1両目の前部または案内係が配置されている2両目の後部のドアより乗車し、連結部を挟んだ中央部2か所のドアより降車する。2021年1月18日夜間からは早朝・夜間帯に2両目の後部ドアからの乗車扱いを取りやめ、この時間の乗車は1両目の前部ドアのみとなる[9]。下高井戸駅の乗車ホームと上町駅の三軒茶屋方面ホームでは1両目前部の扉が開かない。

運賃は前払い。全区間均一運賃のため、乗車券(きっぷ)は発行されない。下高井戸駅・上町駅(三軒茶屋方面のみ)・三軒茶屋駅から乗車する場合は駅にある運賃箱で、その他の駅(無人駅)では車内にある運賃箱で、それぞれ運賃を現金・回数券・カード等で支払う。通常は無人駅でも多客時にホームに係員がいる時はそこで運賃を支払うか、ホームに備え付けの簡易改札機にPASMO・Suica等をタッチする。この場合はどの扉からでも乗車できる。上町駅は2022年4月15日をもって窓口営業を終了したため、障害者割引等特殊な取り扱いを要する場合は、改札口で運賃を支払わずに乗車時に乗務員に申し出た上で支払う形となった[10]

路線バスと同式の運賃箱を使用しており、大人運賃1人分を超える金額が投入されるとつり銭が出て来る。PASMO・Suica等で支払う場合は運賃箱か車内備え付けの読み取り部にカードをタッチする。現金で小児運賃を支払う場合や車内でチャージを行う場合は運賃箱にある所定のボタンを押してから現金を投入する。

なお、PASMO・Suica等で運賃の支払いを行った場合、車内でカードが反応して二重に運賃が徴収されるのを防ぐため、一度カードをかざしてから20分以内に再度カードをかざそうとするとエラーとなり運賃の引き去りができないように設定されている。そのため、20分以内に再度乗車する場合は運転士や案内係にその旨を申し出る必要がある。
利用状況

近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通り(単位:人)。

年度1日平均
乗車人員出典
1990年55,258[11]
1991年55,822[12]
1992年53,666[13]
1993年50,777[14]
1994年48,844[15]
1995年47,691[16]
1996年47,682[17]
1997年48,732[18]
1998年49,225[19]
1999年49,005[20]
2000年49,468[21]
2001年50,227[22]
2002年51,688[23]
2003年51,839[24]
2004年52,490[25]
2005年53,916[26]
2006年54,696[27]
2007年55,303[28]
2008年56,589[29]
2009年55,670[30]
2010年55,230[31]
2011年53,509[32]
2012年55,057[33]
2013年56,958[34]
2014年53,829[35]
2015年55,061[36]
2016年56,168[37]
2017年57,541[38]
2018年58,076[39]
2019年58,003[40]
2020年42,102[41]
2021年48,290[42]
2022年52,283[43]

歴史「東急玉川線」も参照

現在の世田谷線の区間は、1925年大正14年)1月18日に三軒茶屋駅 - 世田谷駅間が玉川電気鉄道(玉電)の支線の下高井戸線(しもたかいどせん)として開業したのに始まる。同年5月1日には残りの世田谷駅 - 下高井戸駅間が開業した。1938年昭和13年)3月10日、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現在の東急の前身)に合併され、玉川線となる。そのため、現在でも玉川電気鉄道の略称、玉川線の愛称であった「玉電」と呼ばれることがある。

1969年(昭和44年)5月11日に玉川線の渋谷駅 - 二子玉川園駅間が廃止され、残った下高井戸線が世田谷線に改称された。区間の大半が新設軌道であり、また並行道路の整備がうまくいかなかったことが廃線を免れた理由といわれる[誰によって?]。これに伴い、玉川線の大橋車庫[注釈 4]が利用できなくなったため、上町駅のそばに車庫(上町検車区[注釈 5])が新設された。また駅名に「玉電」と冠していた各駅(若林・山下・松原)が「玉電」と付かない現在の駅名になった。なお玉川線の廃止以降、1977年(昭和52年)に新玉川線(現在の田園都市線の一部)が開業するまでは、他の東急線と接続しない孤立路線となっていた。

1992年(平成4年)11月11日、三軒茶屋駅前の市街地再開発に伴って、三軒茶屋駅が元の位置[注釈 6]から下高井戸寄りに移動している。そのため、三軒茶屋駅と西太子堂駅の間は0.3 km[2]と極めて近くなっている。山下駅ホーム。嵩上げ工事した様子が見える。手前はスロープ。

1999年(平成11年)7月11日より300系を導入し、低床車両を採用するとともにホームを嵩上げして乗降時の段差を解消した[44][45]。嵩上げはバリアフリー化が目的で、全車両が300系(後述)に統一される前夜の2001年(平成13年)2月10日終列車後に全駅で一斉に行われた[46][47]。なお、最初に導入した300系は旧型の車両と同じようなステップを持っていた(301F - 306F、詳細は「東急300系電車」を参照)。

2000年4月1日、世田谷線の鉄道ファンで構成される愛好者団体「世田谷線サポーターズクラブ」が発足した[48]

2001年5月からは、線路脇に草花を植える「世田谷線フラワリング」を実施している[49]。これは、車窓からの眺めを楽しくすることが狙いで、年に1 - 2回のペースで進み、最終的には下高井戸駅まで到達することになっている。なお世田谷線は軌道上もスギナなどに覆われている区間もあるが、これは人為的緑化でなく自然に生えた草で、列車運行に支障が出る高さになった場合は保線作業時に刈るものの、無理に完全除草はしないという方針に基づくものである[50]

2011年から、東京都交通局都電荒川線と共同イベントを実施しており、第1弾は同年11月に行われた「黄色い電車でハッピーに!」である。


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