東宝チャンピオンまつり
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さらに、各分社間でも費用が生じることとなり、東宝映像カメラマンの桜井景一によれば、以前は倉庫から取り出してくるだけであったミニチュアが、独立採算制となった結果、ミニチュアを管理する東宝美術から映像を制作する東宝映像に数万円請求されるようになったため使いづらくなったと証言している[14]

なお、映画制作は東宝映画が手掛け、東宝映像はCMやイベント映像などを手掛けるというかたちで棲み分けていたが、特撮作品のみはゴジラシリーズの生みの親である田中友幸が社長を務めていた東宝映像が制作していた[15]。さらに、東宝の配給・興行網はこれらの直系政策委会社だけでなく、勝プロダクション、ホリ企画制作などの外部プロダクションに広く開放されることになり、これらの企業は大映や日活に孫請けさせることが多かったため、東宝撮影所を用いた製作本数は年間数本に激減、数十本を製作していた60年代から見れば実質製作中止にも等しい閑古鳥状態に陥ってしまった。

特技監督の中野昭慶によれば、円谷がいなくなったことにより特殊技術課を解体するという意図も動いていたという[16]。東宝美術特殊美術課長の白ア治郎は、円谷組の仲間が引き離されることになり、辛い時代であったと述懐している[17]

東宝美術の特殊美術スタッフであった小村完は、収益を上げるためには多くの仕事をなんでもこなさなければならず、そのような体制であったことがゴジラの質を低下させる結果になったと述懐している[18]
再上映作品

年3回の興行を満たすため、第二回興行からは、東宝の過去作品のリバイバル上映が組み込まれることになった[4]。しかし、この際の上映作品『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)は「短縮版公開」となり、保管してあったオリジナルネガを直接裁断・編集されてしまった[出典 5]。続く『モスラ対ゴジラ』(1964年、本多猪四郎監督)以降、『怪獣総進撃』(1968年、本多猪四郎監督)までのゴジラ映画、また『モスラ』(1961年、本多猪四郎監督)や『キングコングの逆襲』(1967年、本多猪四郎監督)といった特撮映画が再上映されるたびに、オリジナルネガ編集は行われ、原版を損ねる結果となった[19]

こうした「オリジナルネガ再編集」の際には、カットされたフィルムはぞんざいに別のフィルム缶に納められ、倉庫の奥へ片付けられていた[要出典]。1980年代のビデオソフト時代になってようやくこれら切り落としフィルムを繋ぎ直して復元されることとなったが、繋ぎ目の部分のコマ飛びや色調の狂いを生むこととなっている。ゴジラシリーズの監督を務めた本多は、再編集版について「色も酷いし音も潰れてて、ほんとにガッカリするようなものになっていた」と評している[21]

また、『キングコング対ゴジラ』のカット部分だけは長年不明扱いで、ソフト化の際もこの「チャンピオンまつり」版が標準化されてしまい、完全版は「幻の作品」などと文献に記されてきたが、現在ではカット部分が発見され、復元・色調統一・音源のデジタルリミックスなどの処理を施され、「オリジナル全長版」としてDVDソフトが流通している[1][19][注釈 5]

編集の担当者については明らかになっていないが、本多は自身の作品については自ら編集を行ったことを述べている[22]。当時東宝映像に所属していた桜井景一も、1978年の『地球防衛軍』では本多自身が編集を行っていたと証言している[13]

『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『怪獣総進撃』などタイトルにゴジラの名が入っていない作品は、企画に協力していたデザイナーの米谷佳晃からの提案により、ゴジラの名を冠するタイトルへ改題された[13]

過去の作品の再上映は、初公開当時に観ることができなかった児童層が鑑賞する貴重な機会となった[4][6]。後年のインタビューで本多は、チャンピオンまつりでは状態が悪いものであったにもかかわらず、生まれる前の作品を評価するゴジラファンが多いことに驚いたと語っている[21]
終焉とその後

1975年から春公開のみの年一回へ縮小[23]。1976年にはディズニー映画も登場したが、この時は特撮作品が1本も無い唯一のプログラムだった[1]。そして「東宝チャンピオンまつり」は1978年春の上映をもって終了し約9年の歴史に幕を降ろした。書籍『動画王特別編集ゴジラ大図鑑』では、アニメブームと海外SFX映画に圧されたことを終了の理由に挙げている[4]

その後、1978年春の上映ラインナップとして上映されていた『ルパン三世』は同年12月に『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、翌1979年12月に『ルパン三世 カリオストロの城』を公開し、更に1980年3月に『モスラ対ゴジラ』とテレビで人気だったアニメ『ドラえもん』の新作長編『ドラえもん のび太の恐竜』の2本立てを公開した[3][1]。このヒットを受け、「東宝チャンピオンまつり」の流れは毎年3月に公開される『映画ドラえもん』の長編版と藤子不二雄作品の組み合わせへ引き継がれていった[24][3]
シンボルマーク

第一回興行(1969年冬)では「野球のボール」(『巨人の星』のため)、第二回興行(1970年春)は「ペナント」、第三回興行(1970年夏)は「太陽」と一定していなかった。

第四回興行(1970年冬)からは、円形リングの左下にゴジラを添え、上方に「東宝」、中央に「チャンピオン」、下段に「まつり」のロゴを配置したデザイン構成のマークが誕生[25]。シンボルマークにゴジラを用いるのは、企画に協力していた米谷の提案による[13]。以後最後の興行となった1978年春まで使われた。なお、1973,74年冬興行や、1978年興行のようにゴジラ映画でない場合でも、このマークは使われた。

「ディズニー大会」の時はミッキーマウスの顔が使われている。
公開日・上映作品
1969年冬期

1969年12月10日公開[26]
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
ゴジラシリーズ第10作(新作)[26]。東宝製作[27]。70分[27]
コント55号 宇宙大冒険
コント55号主演映画の1作[26]。東宝製作[26]


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