東宝チャンピオンまつり
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ゴジラシリーズの監督を務めた本多は、再編集版について「色も酷いし音も潰れてて、ほんとにガッカリするようなものになっていた」と評している[20]

また、『キングコング対ゴジラ』のカット部分だけは長年不明扱いで、ソフト化の際もこの「チャンピオンまつり」版が標準化されてしまい、完全版は「幻の作品」などと文献に記されてきたが、現在ではカット部分が発見され、復元・色調統一・音源のデジタルリミックスなどの処理を施され、「オリジナル全長版」としてDVDソフトが流通している[1][19][注釈 5]

編集の担当者については明らかになっていないが、本多は自身の作品については自ら編集を行ったことを述べている[21]。当時東宝映像に所属していた桜井景一も、1978年の『地球防衛軍』では本多自身が編集を行っていたと証言している[13]

『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『怪獣総進撃』などタイトルにゴジラの名が入っていない作品は、企画に協力していたデザイナーの米谷佳晃からの提案により、ゴジラの名を冠するタイトルへ改題された[13]

過去の作品の再上映は、初公開当時に観ることができなかった児童層が鑑賞する貴重な機会となった[4][6]。後年のインタビューで本多は、チャンピオンまつりでは状態が悪いものであったにもかかわらず、生まれる前の作品を評価するゴジラファンが多いことに驚いたと語っている[20]
終焉とその後

1975年から春公開のみの年一回へ縮小[22]。1976年にはディズニー映画も登場したが、この時は特撮作品が1本も無い唯一のプログラムだった[1]。そして「東宝チャンピオンまつり」は1978年春の上映をもって終了し約9年の歴史に幕を降ろした。書籍『動画王特別編集ゴジラ大図鑑』では、アニメブームと海外SFX映画に圧されたことを終了の理由に挙げている[4]

その後、1978年春の上映ラインナップとして上映されていた『ルパン三世』は同年12月に『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、翌1979年12月に『ルパン三世 カリオストロの城』を公開し、更に1980年3月に『モスラ対ゴジラ』とテレビで人気だったアニメ『ドラえもん』の新作長編『ドラえもん のび太の恐竜』の2本立てを公開した[3][1]。このヒットを受け、「東宝チャンピオンまつり」の流れは毎年3月に公開される『映画ドラえもん』の長編版と藤子不二雄作品の組み合わせへ引き継がれていった[23][3]
シンボルマーク

第一回興行(1969年冬)では「野球のボール」(『巨人の星』のため)、第二回興行(1970年春)は「ペナント」、第三回興行(1970年夏)は「太陽」と一定していなかった。

第四回興行(1970年冬)からは、円形リングの左下にゴジラを添え、上方に「東宝」、中央に「チャンピオン」、下段に「まつり」のロゴを配置したデザイン構成のマークが誕生[24]。シンボルマークにゴジラを用いるのは、企画に協力していた米谷の提案による[13]。以後最後の興行となった1978年春まで使われた。なお、1973,74年冬興行や、1978年興行のようにゴジラ映画でない場合でも、このマークは使われた。

「ディズニー大会」の時はミッキーマウスの顔が使われている。
公開日・上映作品
1969年冬期

1969年12月10日公開[25]
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
ゴジラシリーズ第10作(新作)[25]。東宝製作[26]。70分[26]
コント55号 宇宙大冒険
コント55号主演映画の1作[25]。東宝製作[25]。72分[25]
巨人の星 行け行け飛雄馬
テレビアニメ『巨人の星』の再編集版[25]。東京ムービー製作[25]。70分[25]
1970年春期

1970年3月21日公開[27]
キングコング対ゴジラ
1962年公開作品の短縮再編集版リバイバル[27]。東宝製作[27]。74分[27]
巨人の星 大リーグボール
テレビアニメ『巨人の星』の再編集版[27]。東京ムービー製作[27]。70分[27]
アタックNo.1
テレビアニメ『アタックNo.1』の再編集版[27]。東京ムービー製作[27]。63分[27]
やさしいライオン
やなせたかし原作・監督のアニメ作品[27]虫プロダクション製作[27]。28分[27]


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