東大寺
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^ 仏教語の「金光明」は呉音で「こんこうみょう」と読むことが多いが、東大寺では公式サイトで「きんこうみょう - 」を正式の読みとしている(参照: ⇒「東大寺の歴史」(東大寺公式サイト)。
^ 大和国分寺は一般に総国分寺の東大寺とされるが、『大和志』では橿原市の国分寺に比定する(「国分寺」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年)。
^ もっとも、華厳宗は開山・良弁ゆかりの宗派として重要視され、近代以前においても日本における華厳宗研究の中心地として、多数の優れた学僧を輩出していた。
^ 東西の七重塔に関しては、一時、再建が検討されたが、木造による完全復元は建築基準法に抵触するため、再建は見送られた。
^ 尊勝院は東大寺別当を務めた光智が天暦9年(955年)に創建したもので、寺内における華厳教学の拠点であり、東南院と並ぶ有力な院家であった。転害門の東北にあったが、室町時代に廃絶し、跡地は惣持院となった。現在の奈良市立鼓阪(つざか)小学校が跡地である。
^ 「賢劫経」は1897年に重要文化財(旧国宝)に指定されているが所在不明。写真も残っていない。
^ 仏教美術史家の杉山二郎も『大仏以後』(学生社)で同様に提起している。続編に『大仏再興』。

出典^ 外国人にわかりやすい地図表現検討会 (2016年1月6日公表) (PDF). 地名の英語表記及び外国人にわかりやすい地図記号について. 国土地理院. p. 17. https://www.gsi.go.jp/common/000111876.pdf#page=17 
^ “(ひと)橋村公英さん 4月に奈良・東大寺の第224世別当に就いた”. 朝日新聞. (2022年5月31日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15310328.html 2022年8月5日閲覧。 
^ a b 黒田龍二・石田理恵「東大寺大仏殿内建地割板図について」(『奈良国立博物館研究紀要』6号、2004年)
^ 薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる』(西東社、 2016年)p.170
^「古都奈良の文化財」の概要 奈良市役所(2018年6月20日)
^ 村山修一『京都大仏御殿盛衰記』法藏館、2003年、 p.159
^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』(中央公論社、1994年)p.95
^ ケンペル著・斎藤信訳『江戸参府旅行日記』(平凡社、1977年)pp.228-231
^ 「東大寺を戦乱に巻き込むな」…信長の書状発見 YOMIURI ONLINE(2014年12月12日)のインターネットアーカイブ
^ 河内将芳 『秀吉の大仏造立』(法藏館、2008年)p.19
^ NIKKEI STYLE 古きを歩けば(47)「豊臣の盛衰刻んだ大仏の梵鐘」 日本経済新聞(2013年2月26日)記事中での河内将芳による解説。
^ a b 村山修一『京都大仏御殿盛衰記』法藏館、2003年
^ 井上和人『新編日本古典文学全集64 仮名草子集』注釈書(1999年)pp.22-24
^ 丸山俊明『京は大火!大地震?そのとき京人は、どうふるまったのか』(びわこ学院大学出版専門委員会、2019年)pp.12-14
^ 奈良国立博物館『特別展 東大寺公慶上人 江戸時代の大仏復興と奈良』2005年
^ a b 大林組『秀吉が京都に建立した世界最大の木造建築 方広寺大仏殿の復元』2016年
^ a b 麻生磯次 校注『東海道中膝栗毛]』下(岩波書店、1983年)p.172
^ a b c 『本居宣長全集 第16巻』1974年出版 在京日記 宝暦七年の条 p.136
^ 『本居宣長全集 第16巻』1974年出版 在京日記 宝暦七年の条 p.106
^ 『南都佛教』2007年12月89号、杉本和江(古美術修復家)「元禄開眼会の大華瓶」、 ⇒池坊HP「いけばなの歴史 江戸時代(中期)東大寺大仏の立花」2018年1月30日閲覧
^ a b 東大寺 (平成28年1月). 東大寺 
^ 伊藤信二「八角燈籠の歴史と評価」奈良国立博物館編『東大寺大仏 天平の至宝』(展覧会図録、2010年)pp.187 - 192
^ 『仁王像大修理』pp.87 - 88, 115
^ 『仁王像大修理』pp.19 - 21
^ 『仁王像大修理』pp.112 - 115
^ 「七重の東塔」再建に向け発掘へ 東大寺、過去2回焼失 47NEWS(2010年4月2日)
^東大寺「東塔」調査結果は アーカイブ 2015年11月20日 - ウェイバックマシン毎日放送
^東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か アーカイブ 2015年11月20日 - ウェイバックマシン朝日新聞デジタル
^東大寺東塔跡:高さ70m超? 鎌倉期の基壇27m四方 アーカイブ 2015年11月20日 - ウェイバックマシン毎日新聞
^ a b c d e f g 東大寺東塔の復元研究の成果について 記者発表資料 - 奈良文化財研究所(2024年4月24日、添付のPDFを参照)
^ 箱崎和久「東大寺七重塔考」『東大寺創建前後 ザ・グレイトブッダ・シンポジウム論集第二号』東大寺、2004年
^ “100m?それとも70m? 東大寺東塔の高さ、長年の論争に決着”. 朝日新聞. (2024年4月25日). https://www.asahi.com/articles/ASS4T1RW3S4TPOMB019M.html 2024年5月5日閲覧。 
^ a b “現存しない東大寺の東塔 高さ論争に決着 高さは70メートルか”. 毎日新聞. (2024年4月25日). https://mainichi.jp/articles/20240425/k00/00m/040/198000c 2024年5月5日閲覧。 
^ “東大寺東塔 創建時の高さは国内最大級の68メートルか”. NHK奈良放送局. (2024年4月25日). https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20240425/2050015945.html 2024年5月5日閲覧。 
^ 4/25に行われた奈良文化財研究所による「東大寺東塔の復元研究」に係る報道発表に当たって - 東大寺(2024年4月30日)2024年5月5日閲覧。
^ a b c d e f g h 『東大寺』発行・編集:東大寺、印刷:凸版印刷株式会社、2016年1月発行
^ 宮武外骨編『日本擬人名辞典』37頁(成光館、1930年)
^ 平成27年9月4日文部科学省告示第134号
^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
^ 文化審議会答申?国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について?文化庁サイト(2019年3月18日発表)

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