2代目東大寺大仏殿の焼失後に「2代目東大寺大仏殿焼失→初代方広寺大仏殿造立・焼失→2代目方広寺大仏殿造立→3代目東大寺大仏殿造立」と年数がさほど空くことなく、大仏殿が日本に存在し続けていたことは、大仏殿造立の技法が継承される上で好事となった。また単に技法が継承されるだけでなく、新たな技法の確立や建築意匠の改良もなされ、3代目東大寺大仏殿の柱材について、寄木材(鉄輪で固定した集成材)となっているが、この技法は2代目方広寺大仏殿で確立されたものとされ[4]、東大寺大仏殿にも取り入れられたとされる。豊臣秀吉による方広寺初代大仏殿造営時に、日本各地の柱材に適した巨木を伐採しつくしたため、森林資源が枯渇したようであり、苦肉の策と言える[4]。
宝永6年(1709年)から寛政10年(1798年)までは、奈良(東大寺)と京都(方広寺)に、大仏・大仏殿が双立していた(前述のように方広寺大仏は寛政10年(1798年)に落雷で焼失)。
また、1879年(明治12年)から1915年(大正4年)までに修理が行われた。これは瓦の重量に屋根が耐えられなくなったためであり、内部に鉄のトラスを渡したうえ、瓦の重なり部分を少なくして瓦の数を減らすなどの対処が行われた。しかし雨漏りなどの問題が生じ、1973年(昭和48年)から1980年(昭和55年)に再修理が行われた。この際は現代の技術で軽量化された瓦が採用され、瓦の重なりは旧に復した。なお、1898年(明治31年)12月28日に旧国宝に1952年(昭和27年)3月29日に新国宝に指定されている。
1994年(平成6年)、UNESCOの呼びかけにより「The Great Music Experience」という特別ライブが行われ、大仏殿をバックにしたステージでボブ・ディランやボン・ジョヴィ、X JAPANなどの国内外の著名なミュージシャンが参加した。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 東大寺大仏殿内に、創建当時の11間の大仏殿と、現代の大仏殿(8間)の比較対象モデルが説明文とともに展示されている
出典^ a b c 『本居宣長全集 第16巻』1974年出版 在京日記 宝暦七年の条 p.136
^ 奈良国立博物館『特別展 東大寺公慶上人 江戸時代の大仏復興と奈良』2005年
^ 黒田龍二・石田理恵「東大寺大仏殿内建地割板図について」(『奈良国立博物館研究紀要 (6)』収録)2004年
^ a b 大林組『秀吉が京都に建立した世界最大の木造建築 方広寺大仏殿の復元』 2016年
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}オープンストリートマップに東大寺大仏殿の地図があります。
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