東城王
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公州丹芝里古墳群横穴墓5世紀末に東城王を護衛して百済に渡った倭人軍士のとみる見解もある(出土物のなかに倭系の須恵器とみられるものがある)[3]
治世

王位につくと直ちに、文周王を暗殺させた解仇の反乱を収めた真老を徳率(4等官)から兵官佐平(1等官)に昇進させ、内外の統帥権を委任した。また、首都熊津忠清南道公州市)の在地勢力である燕氏、沙氏を重用して既存の政治体制を改革しようとした。対外的には、高句麗長寿王が北朝だけではなく南朝にも朝貢して爵号を得たことを聞き、百済からも南朝斉朝貢して冊封体制下に入ったが、高句麗の得た爵号に対しては評価の低いものに留まった。新羅との同盟(羅済同盟)を結ぶための使者の派遣も行っており、493年には通婚を要請して、新羅からは伊?(2等官)[4]の娘が嫁いできた。翌494年には高句麗が新羅を攻めたところに救援を送って高句麗兵を退け、さらに495年には高句麗に侵入された際には新羅から救援が来て高句麗兵を退けている。このように新羅との同盟で高句麗に対抗する姿勢をとっていたが、501年7月には新羅に対しても警戒して炭?[5]に城柵を築いた。498年8月には、耽羅済州島)が貢賦を納めなくなったので親征のために武珍州(現在の光州広域市)に赴いた。これを聞いて耽羅は使者を送ってきて謝罪し、以後は百済に服属したとみられる。

倭国との関係では、東城王の即位以前に起きた二度にわたる百済と高句麗の戦い(455年と475年)において、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}古くからの同盟国であるにもかかわらず倭国が百済を支援しなかったことを背景に東城王は倭国に対しては非友好的な態度を取っている[6][信頼性要検証][疑問点 – ノート]。

王権と国力の回復に努め、外征にも成果を挙げた東城王であったが、在位の晩年には暗君と化した。499年に大旱魃が起こって国民が餓えたが、国倉を開いて民に施そうとするのを許さず、漢山(京畿道広州市)の民2千人が高句麗領に逃亡した。それにも拘らず500年には王宮の東に高さ5丈もの臨流閣を築き、池を掘り珍しい鳥を飼うなどの贅沢にふけり、諫言をする臣下を遠ざけた。さらに同年にも旱魃があったが、側近とともに臨流閣で一晩中の宴会をするなどしていた。こうした状況のなかで501年11月、衛士佐平の?加[7]の放った刺客に刺され、12月に死去した。されて、東城王という。諡された百済王は初めてであった。
東城王の王妃の出自

朝鮮古代史学者の盧重国[8]金鉉球[9]、洪性和(朝鮮語: ???、建国大学[10][11]、金起燮(朝鮮語: ???、公州大学[12]など韓国の研究者たちは、百済の第18代の王・腆支王王妃である八須夫人倭人だったと主張しており、関連して、金鉉球などは、昆支王、東城王、武寧王の王妃も倭人であり、倭国王家が政策的に婚姻させたと主張している。
登場作品
テレビドラマ

帝王の娘 スベクヒャン(2013-2014年・MBC)演:チョン・チャン

脚注^ 『南斉書』列伝第三十九 蛮・東南夷 原文:「今以大襲祖 父牟都為百済王」(表曰:牟大は牟都を(亡)(義)父と呼んでいるとも読める。「牟都」=「三斤王」)
^ 餘映 - 餘? - 餘慶 - 牟都 - 牟大 (『梁書』)
  腆支 - ?有 - 蓋鹵 - 三斤 - 東城
^ 金起燮『??? ??? ?? ??』???????、2017年、10頁。 
^ 『三国史記』百済本紀では「伊?」とするが、新羅本紀では「伊伐?」(1等官)の娘としている。
^ 炭?の比定地にはいくつかの説がある。全羅北道完州郡雲州面、忠清南道扶余郡石城面、忠清南道錦山郡珍山面、忠清北道沃川郡郡北面、など。
^ 沈仁安 著、藤田友治・藤田美代子・古田武彦 訳『中国からみた日本の古代 新しい古代史像を探る』ミネルヴァ書房、2003年11月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4623039056。 
^ 「?」はくさかんむり「?」に「白」。
^ 盧重国 (2005年). “5世紀の韓日関係史?『宋書』倭国伝の検討?” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 263-264. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127011246/https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/1-04j.pdf 
^ ???『??????? ????』Changbi Publishers, Inc.、2010年12月24日、187頁。ISBN 8936482599。"???? 8??? ??? ???? ?? ??? ????(八須夫人)?? ?? ??. ?? ????? ?? ??? ‘?’??? ??? ?? ????. ??? ????? ?? ??? ‘?’?? ???? ?? ?? ??. ??? ???? ??? ?? ????? ???? ??. ?? ??? 661? ?? ?? ?? ??? ???? ?? ?? ??? ??? ?? ? ?? ??. ?? ???? ?????? ??? ????? ?? ?? ?? ??? ??? ?? ?? ?? ?? ??. ???? ????? ???? ??? ?? ????? ???? ??. ??? ???? ???? ??? ?? ???? ????. ?? ??? ??? ???? ????????? ?????? ? ??? ??? ?????? ???? ??. ??? ???? ??? ??? ???? ??????? ?????? ?????? ?? ???? ??? ???."。 
^ “???? ??? ??”. 京郷新聞. (2021年6月28日). オリジナルの2021年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210822163029/https://khan.co.kr/culture/culture-general/article/202106280900001 
^ 洪性和 (2009年). “石上神宮 七支刀? ?? 一考察”. ??????? no.34 (???????). オリジナルの2022年6月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/oYh5a 
^ 金起燮『??? ??? ?? ??』???????、2017年、14-17頁。 

参考文献

金富軾 著、井上秀雄 訳『三国史記』 第2巻、平凡社東洋文庫425〉、1983年。ISBN 4-582-80425-X。 

一然 著、坪井九馬三・日下寛 訳『三国遺事国立国会図書館〈文科大学史誌叢書〉、1904年。 

伴信友岸田吟香 訳『日本書紀』国立国会図書館近代デジタルライブラリー〉、1883年。 

沈仁安 著、藤田友治・藤田美代子・古田武彦 訳『中国からみた日本の古代 新しい古代史像を探る』ミネルヴァ書房、2003年11月。


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