2019年(令和元年)8月27日のテレビ番組の放送で日韓関係を特集した際に、韓国で日本人女性が韓国人男性に髪をつかまれるなどした映像が拡散していることについて、当時火曜レギュラーだった武田邦彦が「路上で日本人の女性観光客を襲うなんていうのは、世界で韓国しかありませんよ」などと発言し、さらに同月29日の放送では東国原がコメントする途中で、東海大学教授でコメンテーターの金慶珠が意見を述べようとした事で、東国原が「黙ってろ、お前は。黙っとけ、この野郎。しゃべりすぎだよ、お前。僕、あの人が来たらね、今日欠席してる。事前に言ってよ今度ね」などと激昂した。その後、同月30日の放送の冒頭で、石井亮次(当時CBCアナウンサー)が「ヘイト(スピーチ)や犯罪の助長を容認することはできません。不快な思いをされた方々におわびいたします」と謝罪し[37]、9月5日の放送でも東国原が「おっしゃった通り声を荒らげたことは大変申し訳なかったと思います。改めてお詫び申し上げたいと思います」と謝罪した[38]。「弘大日本人女性暴行事件」も参照 2021年(令和3年)10月4日のテレビ番組内で衆議院の総理大臣指名選挙で自民党衆院議員の高市早苗に1票入っていたことを紹介した際に、東国原が「入れたのは衛藤征士郎さんではないかと推察する」と発言。その後、NHK党衆院議員の丸山穂高(当時)が自身のYouTubeチャンネルで自分が高市に投票したことを明らかにしたため[39][40]、翌5日の放送の冒頭で石井亮次が「事実ではありませんでした。お詫びして訂正致します。大変失礼致しました」と謝罪した[41]。 当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
首相指名選挙での発言
略歴
1957年(昭和32年)9月16日 - 宮崎県にて出生。後に鹿児島県曽於郡(現・曽於市)に移転。姉がいる。
1976年(昭和51年)
3月 - 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科を卒業。
4月 - 専修大学経済学部経済学科入学。
1980年(昭和55年)
3月 - 専修大学経済学部経済学科卒業。
12月 - フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1981年(昭和56年)1月 - ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年(昭和58年)9月 - 『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を受賞。
1985年(昭和60年) - フリーアナウンサーの片平きみよ(現:片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)12月9日 - フライデー襲撃事件。師匠たけし及びたけし軍団のメンバー10人とともに逮捕される(後に不起訴)。
1989年(平成元年) - 片平きみよと離婚。
1990年(平成02年)3月 - 女優のかとうかずこ(現:かとうかず子)と再婚。直後にAV女優との浮気が報じられる[42]。
1998年(平成10年) - イメクラで16歳の少女と騒動[42]。
2000年(平成12年)4月 - 社会人入試(英語と小論文)で早稲田大学第二文学部社会人間系専修入学。
2004年(平成16年)
3月 - 早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業。
4月 - 社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科入学。
2006年(平成18年)
2月3日 - かとうかずこと離婚。
3月 - 早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学。
12月13日 - オフィス北野(所属事務所)との契約を解消。
2007年(平成19年)1月21日 - 第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。
2011年(平成23年)
1月20日 - 宮崎県知事を任期満了により退任。
3月22日 - 東京都知事選挙に立候補することを表明。
4月10日 - 東京都知事選挙にて落選。
4月21日 - シンクバンク(所属事務所)と契約[43]。
2012年(平成24年)12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙(日本維新の会)にて初当選。
2013年(平成25年)12月17日 - 日本維新の会を離党し、衆議院議員を辞職[44]。
2014年(平成26年)9月16日 - 20歳年下の一般女性との婚姻の届出をした旨を自身のツイッターで公表[29]。一週間後に20代女性との不倫が報じられる[42]。
選挙歴
/候補者数政党内比例順位
/政党当選者数
当宮崎県知事選挙2007年1月21日49――無所属26万6807票44.42%11/5/
落東京都知事選挙2011年4月10日53――無所属169万669票28.06%12/11/
当第46回衆議院議員総選挙2012年12月16日55比例近畿ブロック日本維新の会29/1/10
落宮崎県知事選挙2022年12月25日65――無所属23万5602票46.94%12/3/
エピソード
1982年前後、たけしと東国原以下たけしの弟子たちの宴会が開かれ、その席で弟子全員の芸名をたけしが命名した。しかし、東国原は新しい芸名が与えられなかったため、たけしに「殿、私の名前はどうなるのでしょうか?」と聞いたところ「東はもう、そのまんま、東でいいよ」と返答された。これは「お前は従来の芸名『東英夫』を名乗り続けろ」という意味であったが、ラッシャー板前が勘違いし、『そのまんま東』とメモし、最終的に半ばシャレで、東国原は「『そのまんま東』という芸名を与えられた」ということにした。
ダチョウ倶楽部の上島竜兵のネタの一つであった「押すなよ!押すなよ!絶対に押すなよ!」の元ネタは東国原がたけし軍団時代に出演した番組内のやり取りである。ダチョウ倶楽部#主なギャグの項を参照。
引退した山口百恵の許可を得ていないプライベート映像を番組が特ダネとして放送した際、他のコメンテーターはプライバシーの問題について放送した番組を擁護する発言を行ったが、東のみが「これはいくらなんでもやりすぎである」と番組を強く批判した。のちに山口の夫の三浦友和はエッセイの中で、「擁護する発言をした人たちを忘れはしない。またそのまんま東さんの発言も忘れないし発言に感謝している」と記している[45]。