東区_(名古屋市)
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^ 『なごやの町名』P130 - P131。
^ 過去に存在した行政区を含めた場合は大阪市東区(現・中央区)が最古となる。
^ 公立小学校区としては、矢田小学校区・砂田橋小学校区のほぼ全てと旭丘小学校区の一部が該当する。名古屋台地上の地域とこの一段低い地域との間は連続して坂となっている。名古屋環状線の古出来町交差点 - 矢田5丁目交差点間や徳川園内、白壁地区周辺の坊ヶ坂・尼ヶ坂、国道41号の清水口交差点から北方向への下り坂などにこれらの坂を見ることができる。週刊東洋経済臨時増刊号『進化する名古屋2012』P104 - P105掲載の図には、これらの状況がよく示されている。
^ 『区政概要 平成23年版』区関係諸統計-土地利用状況(地目別課税地面積)によると、東区における農地は1千m2であり、全課税地面積4320千m2に占める割合はわずかである。
^ 現在の名古屋市の行政区16区の中で区面積が10km2以下の区としては、東区(7.70km2)の他に熱田区(8.13km2)・中区(9.38km2)がある。区面積が最大の区は港区(45.69km2)で、東区の6倍弱。
^ 1905年(明治38年)に長久寺(白壁三丁目)で貝塚が発見された。発見場所は現在金城学院中学校の校地となっている。これとは別に片山神社(芳野二丁目)境内で弥生前期のものと推定される土器が出土している。
^ 名古屋城から見て南東から南にかけては現在の中区・熱田区といった地域となる。なお、現在の熱田区地域は当時は名古屋城の城下町ではなく熱田神宮前の宿場町であった。
^ 北区は当時の東区と西区の区域の一部を併せる形で成立した。
^ 太平洋戦争時において日本の航空機生産の4割を占めたとされる三菱重工業名古屋発動機製作所が立地されたのは1935年(昭和10年)である。
^ 名古屋市における住居表示は、1964年(昭和39年)以降昭和40年代から50年代にかけその大半が実施された。東区における住居表示実施は1976年(昭和51年)1月18日実施のものが最初であり、昭和50年代にその実施の大半が集中している。
^ 瀬戸自動鉄道(現:名鉄瀬戸線)大曽根駅は東区誕生前の1906年(明治39年)に開業している。
^ 正式な路線としては名城線の2号線ではなく4号線としての延伸である。
^ 『産業の名古屋2007』では、東京圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)・大阪圏(大阪府・京都府・兵庫県・奈良県)・名古屋圏(愛知県・岐阜県・三重県)の3つを位置づけている。
^ それぞれの対全国比経済指標は、人口8.8%、県内総生産9.7%、県民所得9.5%、民営事業所数9.0%、民営従業者数9.5%、卸売業年間販売額9.3%、小売業年間販売額8.9%、本社数8.1%、輸入額11.7%となっている。同様にして東京圏は全国対比30%の経済圏、大阪圏は全国対比15%の経済圏と位置づけている。
^ 『東区史』P386 - P387、P425。
^ 『開学100周年記念 旭丘』(名古屋市立旭丘小学校 1972年発行)では、名古屋市立東白壁小学校の校舎を名古屋市立冨士中学校と名古屋市立八王子中学校の仮校舎として使用するため、1948年10月から1949年8月までの期間旭丘小学校と東白壁小学校が統合して旭白壁小学校となっていた旨が記されている。『東白壁 創立50周年記念号』においても「冨士中学校創立時に本校の校舎を貸した」との趣旨の記述が見られる。
^ 椙山女学園 (Sugiyama Jogakuen)・愛知淑徳 (Aichi Shukutoku) ・金城学院 (Kinjo Gakuin) の頭文字をそれぞれ取ったもの。椙山女学園・愛知淑徳の2校とも、かつて東区内に所在していた時期があった。
^ 名古屋市では公立学校選択制が導入されていないことから、住民票の所在地により通学する公立小学校および公立中学校が決定される。住所の移動を伴わない場合、通学した小学校に対応する形で卒業後通学する中学校も決まることとなる。
^ 名古屋ガイドウェイバスの専用軌道区間は鉄道扱いとなる。詳細は名古屋ガイドウェイバスを参照。
^ 東山線(1号線)・名城線(2号線および4号線)・名港線(2号線)・鶴舞線(3号線)・桜通線(6号線)・上飯田線(7号線)の6路線。
^ 例としては地下鉄東山線新栄町駅(葵一丁目)と地下鉄名城線砂田橋駅(大幸四丁目)との間を行き来する場合には、地下鉄路線のみを用いた場合一旦他の行政区を通過して大回りをする必要がある。他の事業者の路線を併用した場合でも時間的な面での短縮はそれほど見込めず、料金面では不利になるため取りうる手段としては現実的ではない。
^ 整備が難航していた市道赤萩町線百人町・黒門町地区の整備終了により、東区における太平洋戦争後の名古屋市の都市計画での幹線道路整備は完了した。
^ 東区は陶磁器の産地である瀬戸・多治見との交通の便が良いことから、明治後期から大正期には陶磁器産業が栄えていた。
^ 同様の史跡探索路は名古屋市の他区でも教育委員会と協議の上選定されている。
^ 東区トップページ-東区の魅力-東区のまちめぐり-東区:史跡散策路。

出典^ “名古屋市:東のマーク、花、木、概要など”. 名古屋市東区役所 (2015年4月8日). 2016年9月22日閲覧。
^ a b c d 『なごやの町名』(名古屋市計画局 1992年3月31日発行)。
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