QS世界大学ランキング2024(2023年)では第113位、アジア第24位、日本国内第5位である[16]。また、英タイムズ紙系の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』によるTHE世界大学ランキング2023-2024(2023年度)では、同点第130位、アジア第20位、日本国内第3位である[* 1]。THE世界大学ランキング日本版2023では総合第1位であり、4年連続の首位となった[17][18]。
沿革東北帝国大学設置に至る過程については「帝国大学」を参照
略史東北帝国大学
1913年(大正2年)撮影
画像外部リンク
東北大学史料館
⇒理学部赤レンガ館の「理科大学」の篆刻、および、その上の古河家の紋章:時期不明
⇒理科大学 講堂・本館遠景:1911年(明治44年)頃
⇒東北帝国大学専門部附属病院:1913年(大正2年)頃
⇒東北帝国大学工学専門部正門および校舎:大正期前半
1900年(明治33年)1月29日、第14回帝国議会において『九州東北帝国大学設置建議案』が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、1902年(明治35年)にも『東北帝国大学設立建議案』が再度採択された。
1906年(明治39年)、札幌農学校を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の代議士が反発した結果として、新設予定の理科大学を仙台に置くこととし、札幌農学校を昇格させた農科大学と合わせて東北帝国大学とする折衷案を政府に要求することとなった[19]。
結局、1907年(明治40年)6月22日、明治天皇が勅令236号(東北帝国大学ニ関スル件)を公布することで、仙台に東北帝国大学が設立されることになった。その内容は235文字からなるシンプルな内容で以下のようなものであった。
「朕[は]東北帝国大学ニ関スル件ヲ裁可シ茲[ここ]ニ之[これ]ヲ公布セシム……(中略)……第一条 仙台ニ帝国大学ヲ置キ東北帝国大学ト称ス 第二条 札幌農学校ヲ東北帝国大学農科大学トス 第三条 東北帝国大学ノ分科大学及分科大学中ノ各学科開設ノ期日ハ文部大臣之ヲ定ム 第四条 東北帝国大学総長ノ職務ハ当分ノ内東北帝国大学農科大学長ヲシテ之ヲ行ハシム 第五条 帝国大学令第六条乃至第八条ノ規定ハ当分ノ内東北帝国大学ニ之ヲ適用セス 附則 本令ハ明治四十年九月一日ヨリ之ヲ施行ス」[20]
東北帝国大学(後の東北大学)を「東京帝国大学、京都帝国大学に続き日本で3番目に創設された帝国大学」と主張する根拠は、この勅令236号に求め得る。ただし、本勅令の1907年時点で東北帝国大学として唯一存在した札幌農学校改め農科大学は、1918年に北海道帝国大学へと独立しており、組織の連続性により北海道大学の歴史の一部としてとらえられている[21]。今日の東北大学に直接つながる理科大学の設置は、以下に述べるように1911年を待たなければならなかった。
東北帝国大学の本部は仙台の片平地区と定められ、そこにはすでに魯迅が学んだ「仙台医学専門学校」(後の医学部)なども存在したが、校舎の建設から学生募集などには時間がかかるため、1907年(明治40年)9月1日に上記勅令236号が施行された時点では、勅令の2条にあるように、札幌農学校を東北帝国大学農科大学(札幌区)へと改組するのみに留まった。札幌農学校は開学当初より学士号の授与が認められており、帝国大学とならぶ高等教育機関であったためである[22]。
このため、前身をもたない理科大学の建設が完了するまで、札幌の農科大学のみで運営することを前提とした東北帝国大学農科大学官制が施行され、勅令236号第4条にあるように、東北帝国大学総長の職務は農科大学学長(札幌農学校校長の佐藤昌介が引き続き就任)が代行することになったのである[3][4]。
理科大学の建設資金には、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥(現・古河グループ)や宮城県による寄付金等が用いられ、校舎の建設や実験機器・専門書の輸入などの準備がなされた。理科大学の教授候補として内定した者たちは、理科大学完成までの間、ヨーロッパ各地に留学し、留学中にフランスの首都パリに集まって教授会も開催した[23]。
準備も整った1911年(明治44年)1月に理科大学が設置された(同月、九州帝国大学も創設)[24]。開学式は1913年(大正2年)9月22日に挙行された[25]。この他、1912年(明治45年)に仙台医学専門学校を包摂して医学専門部を設置。また、仙台高等工業学校を包摂して工学専門部を設置した。
仙台医学専門学校は、1872年(明治5年)設立の宮城県立医学所を母体とするものであり、東北大学医学部ならびに艮陵(ごんりょう)同窓会[26]では、1872年(明治5年)を医学部開設年(母校創立の日)と定めている[27]。