明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになる。
廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、当地方から北海道が切り離され、仙台県宮城郡仙台(後の宮城県仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の民権派は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および北海道」の範囲を指す美称として「東北」を(「西南」と対比して)用いるようになった[8]。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった[8]。
この結果、「東北」は日本の地域の中で唯一、民間由来の地方名として定着し[8]、明治以降144年以上に亘って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。 既存の6県以外に、新潟県を東北地方に編入する場合がある。この場合は「東北7県」「奥羽越」と呼ばれる。これは、交通、電力、歴史における同一性に起因する。 律令時代には陸奥国が「蝦夷vsヤマト王権」の前線であったが、現在の下越地方(1873年以前の新潟県)も渟足柵や磐舟柵が建てられて「蝦夷vsヤマト王権」の前線になった地域であり、下越地方の城柵が庄内地方に北上する経過をたどっている(出羽柵、鼠ヶ関)。 明治維新期の戊辰戦争でも「奥羽越列藩同盟」が結成され、米山以東の新潟県(下越地方と中越地方)は列藩同盟に加わり明治政府軍と交戦した地域である(北越戦争)。 他にも、交通や電力に関する分野では、新潟県を東北6県と一緒に扱う場合がある。これは、明治時代から始まった水力発電や、交通体系で山形県庄内地方や福島県会津地方と密接である点が大きい。 新潟県の面積は広大で既に水力発電所が複数あり、当時の国鉄にも電力供給を行っていたくらい発電が実施されたとされる。中でも下越地方と会津地方は阿賀野川(只見川)の流域で、阿賀野川は電源開発の最重要地域の一つであった。このため、新潟県を加えた7県を供給範囲とする電力会社として、第二次大戦中の1942年(昭和17年)には配電統制令により東北配電株式会社が設立された。1950年(昭和25年)には電気事業再編成令により東北電力が設立された。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効後になると、7県を対象範囲とする地域開発の法律が作られた。 この事からも、旧柏崎県(上越地方と中越地方)と1873年以前の新潟県(下越地方)で電力供給の思惑が異なり、旧柏崎県では自力で賄える範囲であったが、当時から電力の消費地として既に下越地方の新潟市では電力供給が乏しくなることとなった。また旧柏崎県からの送電網構築により下越地方から山形県庄内地方までも電力のカバーができることも大きく影響しているとされる。 交通面でも、会津地方と庄内地方を往来するには、下越地方を通らねばならない。このため、国鉄時代の新潟鉄道管理局(分割民営化後もJR東日本新潟支社がそのまま継承)のエリアは、新潟県、庄内地方、喜多方以西の会津地方が一緒になっている。なお、新潟市と東北諸地域を結ぶ陸路では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通したが、(南)長岡・直江津方面と(東)郡山方面が鉄道・高速道路共に充実している反面、(北)酒田方面は羽越本線のみで日本海東北自動車道の新潟⇔酒田は2023年現在も未だ開通していない。 「東北6県」「東北7県」以外の例としては、1888年に行われた「東北」対象の自由民権運動集会には新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県が参加していた[9]。
東北7県
新潟県と東北6県を対象範囲とする法律(戦後)
北海道東北開発公庫法(1956年 - 1999年)
中央省庁再編にあわせ、北海道東北開発公庫は解散し、日本政策投資銀行へ継承。
東北開発株式会社法
1986年に東北開発株式会社(特殊会社)は民営化。その後、三菱マテリアルと合併。
東北開発促進法(1957年 - 2005年)
国土総合開発法の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。
地方行政連絡会議法(1965年 -)
※1?3をまとめて「東北三法」ということがある。
1960年代から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」の範囲を「東北」の対象としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令[10]以降は「東北圏」と称す)。また、北海道と「東北7県」で、北海道東北地方知事会議が開催されている。
経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みにしたがって東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業[11]などでも新潟県が含まれている。
東北経済連合会は、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力が事実上主導権をとる団体となっている[12]。その経済力を背景に、同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北6県と新潟県」という)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。
以上のように、電力関連では「東北7県」を一括りとする例が見られるが、電力関連以外では東北6県の方が一般的であり、東京や仙台に立地する機関が新潟県も含めて「東北7県」とする例は少ない。東北史研究者の河西英通はその理由として、東北地方が凶作に見舞われたのとは対照的に、新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている[9]。又、東北地方の県庁所在地には内陸が多く、東京や仙台は太平洋沿岸であるため、秋田市や新潟市など日本海沿岸は劣後しがちな点も大きい。
新潟県は面積が広大であり、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、他の県との経済的落差も異なる。そのため、新潟県を東北地方に含める場合には、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北6県と新潟県」「東北地方と新潟県」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→新潟県#地理)。
新潟放送が新潟県民に行ったアンケートによると、新潟県は「関東甲信越」とする回答が55%、「北陸」が25%、「中部」17%の一方で、「東北」は3%しかない[13]。