1934年?1935年(昭和9年?昭和10年)にも、青森県・岩手県・宮城県を中心とする東北地方で大凶作が発生した。昭和8年(1933年)から大雪となり、さらに昭和9年7月末から冷害により大凶作となった。このため東北6県の作付け面積の96%が被害を受け、収量は平年作の約6割にとどまった[1]。
この大凶作は昭和恐慌と重なったため、都市部の大失業と所得減少、都市住民の帰農による人口圧力などによって農村経済は疲弊、農家の家計は窮乏化し、東北地方や長野県などでは、若い女性の身売りが起こり、欠食児童が続出し、二・二六事件の背景にもなった[8]。これは、世界恐慌からはじまるブロック経済の進展などもあいまって、満州事変につながる背景ともなった。
1993年の大凶作詳細は「平成の米騒動」を参照
飽食の時代に発生した大凶作である。
注釈^ 天保7年の夏の気温偏差は-2.8℃と推定され、最近100年間の第1位冷夏年(明治38年・大正2年)の-2.2℃よりも低かった可能性がある[4]。
出典^ a b 『東北凶作』 - コトバンク
^ “天明の飢饉とは”. コトバンク. 2022年4月19日閲覧。
^ “天保の飢饉とは”. コトバンク. 2022年4月19日閲覧。
^ a b 東北地方に大飢饉をもたらした天保年間の異常冷夏 - 近藤純正
^ “図説東北の稲作と冷害(東北の冷害編)”. www.reigai.affrc.go.jp. 2022年4月19日閲覧。
^ “飢饉【けがじ】”. 八戸市博物館・史跡 根城の広場. 2022年4月20日閲覧。
^ 日本歴史大事典「東北凶作」大石嘉一郎
^ 玉真之介「1934年の東北大凶作と郷倉の復興 : 岩手県を対象地として(2012年度シンポジウム 自然災害と地域社会-農業史研究の視点から-)」『農業史研究』第47巻、日本農業史学会、2013年、22-34頁、doi:10.18966/joah.47.0_22。
外部リンク
『東北凶作』 - コトバンク