東京
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1889年には府内に東京市が置かれた[19][20]

1923年関東大震災では多くの家屋が焼け、東京市では人口の3割強が減少した。関東大震災を契機に地盤が強固な新宿を中心に繁華街が西側に移動した。関東大震災の惨状。(京橋の第一相互ビルヂング屋上より、日本橋および神田方面を望む)

その後1940年 (昭和15年) 時点では東京23区の人口は約680万人まで増えていたのだが、太平洋戦争により、東京の住民は兵士や他の地方の軍需工場の労働力として召集されたり、疎開が行われたり、同戦争末期(1944 - 1945年頃)に米軍により東京に対して100回を超える爆撃東京大空襲)が行われ、ナパーム弾などの焼夷弾によって多くの家屋が焼かれ人々が殺されたり避難を余儀なくされたことが影響し、人口減少が続き、太平洋戦争直後時点では東京23区の人口は280万人まで減っていたとされる。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

太平洋戦争末期の1944年 - 1945年ころに米軍により100回を超える爆撃東京大空襲)が行われ焦土(焼け野原)と化した東京。

東京大空襲の惨状(浅草松屋屋上から見た仲見世と付近の焼跡)

太平洋戦争後には東京は目覚ましい復興を遂げ、人口は増え続け、2020年時点の国勢調査によると、東京都で1405万人まで増加。昼間人口はおよそ1,600万人。また、「首都圏」(東京圏)では3800万人まで増えた。

その後も拡大を続けた東京は、ついには神奈川県横浜市)や千葉県千葉市)、埼玉県さいたま市)など隣接自治体(県庁所在地)との間の切れ目もほぼ消失(コナベーション)し、周辺の都市と融合することで一種の巨大な都市圏を形成し、世界1位の人口GDPを擁する世界最大のメガシティの中核的な部分ともなっている[注釈 7][注釈 8]。この都市圏は東京圏とも総称される。また、東京・名古屋大阪が連携して生まれた東海道メガロポリスの一角も担っている。

2016年時点の国際連合の統計では、東京は世界最大の都市と評価され近隣の自治体とともに世界最大の人口を有する都市圏(約3500万人)を形成している、とされた[21]。英紙インディペンデントの報道の推計によると、少子化の進行に伴い、2050年頃には人口で世界7位に転落するいう推定もある[22]
年表

1868年に江戸(江戸幕府の所在地)から名称変更された。東京奠都を経て、現在では事実上の首都機能を担っている都市である。場所は関東平野にあり東京湾に面している。

「東京」という名称を用いる構想は江戸時代後期の佐藤信淵の書にあり、大久保利通がその書の影響を受けつつ「東京」とすることを建言した。→#地名

1868年慶応4年)に府制を施行[4]東京府となった。

1878年明治11年)に伊豆諸島1880年(明治13年)に小笠原諸島を編入[5]

1889年(明治22年)5月1日には、東京15区を東京府から分立して東京市とした。

1893年(明治26年)4月1日に、東京府及び神奈川県境域変更に関する法律により、多摩地域は神奈川県から東京府へ編入されてほぼ現在の東京都の境域が確定した。

東京市は、1923年大正12年)の関東大震災によって人口が増加した周辺の町村を1932年昭和7年)に合併し35区になった[5]。市域は最終的には現在の東京都区部とほぼ同地域となった。

1938年(昭和13年)6月に内務省が「東京都制案要綱」発表し、1943年(昭和18年)1月に政府が「東京都制案」を帝国議会に提出し可決されたことを受け、同年7月1日に東京都制が施行され、東京府と東京市を廃止する形で東京都に統合された[5]


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