東京都電車
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8月22日:馬車鉄道の東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めることで誕生した東京電車鉄道(電鉄[16])が、品川 - 新橋間を開業。
9月15日:東京市街鉄道(街鉄)が数寄屋橋 - 神田橋間を開業[42]。
11月1日:街鉄 日比谷(日比谷公園) - 半蔵門間が開業。
11月25日:電鉄 芝口(芝口一丁目) - 上野間が電化開業。
12月29日:街鉄 神田町 - 両国間・半蔵門 - 新宿間が開業。
1904年(明治37年)
1月31日:街鉄 須田町 - 本郷四丁目間が開業。
2月21日:電鉄 本銀町角 - 馬喰三丁目 - 浅草橋間・浅草橋 - 横山町三丁目 - 本町角間がそれぞれ単線一方通行で電化開業。
2月25日:電鉄 浅草橋 - 雷門間が電化開業。
3月18日:電鉄 雷門 - 田原町 - 菊屋橋・合羽橋 - 上野停車場前 - 上野間が電化開業。田原町 - 上野停車場前間は菊屋橋経由が上野方面、合羽橋経由が雷門方面への単線一方通行。東京電車鉄道が全線電車化。
5月15日:街鉄 数寄屋橋 - 茅場町 - 両国間・茅場町 - 亀住町間が開業。数寄屋橋を数寄屋橋内に改称。
6月21日:街鉄 日比谷(日比谷公園) - 三田(本芝)間が開業。
9月6日:街鉄 三宅坂 - 青山四丁目間が開業。
11月8日:街鉄 本郷四丁目 - 上野広小路間が開業。本郷四丁目の須田町方面を本郷三丁目に改称。
12月8日:東京電気鉄道(外濠線)が土橋(新橋駅北口) - 御茶の水間を開業。
12月17日:街鉄 小川町 - 俎橋間が開業。
1905年(明治38年)
4月3日:外濠線 土橋 - 虎ノ門内間が開業。
4月5日:外濠線 御茶ノ水 - 東竹町(竹町)間が開業。
5月12日:外濠線 東竹町(竹町) - 神楽坂(神楽坂下)間が開業。
6月3日:街鉄 両国 - 亀沢町間が開業。
7月18日:街鉄 上野広小路 - 西町間・亀沢町 - 小島町間が開業。
8月12日:外濠線 神楽坂(神楽坂下) - 四谷見附間が開業。
9月15日:外濠線 四谷見附 - 葵橋間が開業。
9月17日:街鉄 西町 - 小島町間が開業。
10月:東京の地理教育を目的に、3社による当時の路線をうたった歌として「東京地理教育電車唱歌」(全52番)が発表される。
10月11日:街鉄の桜田門 - 霊南坂間と外濠線の葵橋 - 虎ノ門間が開業。街鉄霞ヶ関 - 霊南坂間の一部と外濠線葵橋 - 虎ノ門間の一部が被るために共用線として同時に開業。路線としての外濠線が全通。
11月23日:外濠線 師範学校前 - 神田松住町間が開業。
12月29日:街鉄 半蔵門 - 三番町間が開業。
1906年(明治39年)
1月20日:街鉄 三番町 - 市ケ谷見附間が開業。三番町を招魂社脇(招魂社横)へ改称。
3月3日:外濠線 信濃町 - 天現寺橋間が全線専用軌道で開業。外濠線と線路が繋がっていないため車両のやり取りは街鉄線を経由して行われた。
3月21日:街鉄 俎橋 - 飯田橋が開業。
4月13日:街鉄 三原橋 - 蓬莱橋間が開業。
8月2日:電鉄 菊屋橋経由の上野停車場 - 田原町間が複線化。それに伴い合羽橋経由が廃止。
9月11日:電鉄・街鉄・外濠線の3社が合併し、東京鉄道(東鉄)成立。
9月12日:東京鉄道としての運行が開始。
1907年(明治40年)4月:東京市会において東京鉄道の買収を決議。
1911年(明治44年)
7月31日:東京鉄道の買収について東京市営の許可がおりる。
8月1日:東京市が東京鉄道を買収。東京市電気局を開設し、東京市電となる。
8月22日:王子電気軌道(王電)が大塚 - 飛鳥山上間を開業。
12月31日:東京市電で日本の交通事業史上初のストライキが行われる[43]。
1917年(大正6年)12月30日:城東電気軌道、錦糸町 - 小松川間を開業。
1921年(大正10年)8月26日:西武軌道、淀橋 - 荻窪(現・荻窪駅南口)間を開業(10月1日、武蔵水電に合併[44]。さらに1922年(大正11年)6月1日帝国電燈に合併)。
1922年(大正11年)
6月11日:玉川電気鉄道(玉電・1907年(明治40年)開業)渋谷 - 渋谷橋間を開通。
11月16日:帝国電燈、西武鉄道(旧社)に鉄軌道事業を譲渡[45]。
1924年(大正13年)3月29日:京浜電気鉄道品川駅(現・北品川駅)と接続、直通運転を開始。
1925年(大正14年)3月20日:女性の車掌68人が乗務を開始[46]。
1926年(大正15年)6月11日:東京市電自治会(労働組合)が15年度大会を開催。全自治会員15000人が労働農民党へ入党することなどを議決[47]。
1933年(昭和8年)4月1日:京浜電気鉄道との直通運転を取り止める。
1935年(昭和10年)12月27日:西武鉄道(旧社)、東京乗合自動車(青バス)に新宿軌道線の経営を委託。
1937年(昭和12年)3月25日:城東電気軌道、青バスに吸収合併される[48]。
1938年(昭和13年)
4月15日:玉電、東京横浜電鉄に合併。
4月25日:青バス、東京地下鉄道に吸収合併される。同社は城東軌道線を引き続き経営し、西武鉄道(旧社)から新宿軌道線の経営を受託する。
10月14日:東京横浜電鉄、旧玉電路線の渋谷以東部分(下記)の経営を東京市へ委託する。渋谷東横百貨店前(現・渋谷駅東口) - 天現寺橋間渋谷橋 - 中目黒間
1941年(昭和16年)10月13日:三原橋 - 下板橋間で配給米の運搬が始まる。トラックのガソリン使用を軽減する目的で、専用車が用意された[49]。
1942年(昭和17年)2月1日:東京市が王電と東京地下鉄道の城東軌道線(下記)を買収し、東京地下鉄道から新宿軌道線の運営管理を引き継ぐ。(旧王電路線) 早稲田 - 王子駅前間、赤羽終点 - 三ノ輪橋間(旧城東路線) 錦糸町 - 西荒川間、水神森 - 洲崎間、東荒川 - 今井橋間(運行管理路線) 新宿駅前(現・駅ビル「ルミネエスト新宿」の北端辺り) - 荻窪間1944年(昭和19年)新宿駅前 - 角筈一丁目(新宿大ガード西交差点)間休止
1943年(昭和18年)
3月9日:東両国二丁目 - 両国駅間休止
4月28日:土橋ループ、若松町引込線、白山上 - 本郷肴町(のちの向丘二丁目)間休止
都制施行後 - 財政再建団体指定
1943年(昭和18年)7月1日:東京都制施行。市電気局を東京都交通局に改組。東京都電となる(実際には、しばらく「市電」のままで呼ばれた)。
1944年(昭和19年)5月4日:下記9線区、戦時下に伴う不要不急路線として廃止。天現寺橋 - 恵比寿長者丸間矢来下 - 江戸川橋間汐留 - 三原橋間東京駅(丸ノ内口)南口 - (丸の内パークビルディング向かい) - 都庁前(現・三菱UFJ銀行本店前)人形町 - 両国(日本橋両国)間東京港口 - 芝浦二丁目(船路橋前)間(撤去せず、1969年の第四次都電撤去時まで車両工場引込線として存続)数寄屋橋 - 土橋間御茶の水 - 錦町河岸間水天宮前 - 土洲橋(現・東京シティエアターミナル前)間
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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