本庁舎を失った電気局は、9月2日に東京市役所、次いで9月3日に桜田門外にあった資材置き場に仮本部を設置し、大阪市電気局などの協力を得て復旧に取り掛かった[39]。市電の復旧は比較的被害の少なかった山の手方面から着手され、早くも9月6日には神明町車庫前 - 上野三橋間、9月8日には青山六丁目 - 桜田門、四谷塩町 - 泉岳寺前間で運転再開に漕ぎ着けた[37]。被害の大きかった下町方面も同年10月20日柳島 - 亀沢町間で運転を再開したのを皮切りに復旧が進められ、1924年(大正13年)6月12日には市電全線の復旧が完了した[39]。また1924年(大正13年)1月18日からは市電復旧までの代替措置として都営バスの前身である東京市営バスの運行が開始され、市電復旧後も引き続き東京市民の足として活躍することとなった[40]。 しかし関東大震災後、東京市電の利用者数は1924年度(大正13年)の1日平均136万人をピークに減少傾向となり、1934年度(昭和9年)度にはピーク時の6割ほどの約78.8万人まで減少した[41]。 これは関東大震災を契機に自動車の有用性が広く認識されたことで、日本国内でも初期的なモータリゼーションが始まり[注釈 17]、雨後の筍の如くに乱立した路線バスやタクシー事業者との激しい競争に見舞われたためである[注釈 18][41]。また震災後は郊外の宅地開発や都心部のビジネスセンター化など都市構造の変化が進み、省線電車や私鉄が郊外へと路線網を拡大した一方、既存の市街地にしか路線を持たない市電は交通需要の変化に十分対応できなかったことも不振の一因であった[41]。 さらにこの頃になると、路線の拡充などのため度々発行してきた市債の償還が大きな負担となり、乗客の減少と相まって1935年(昭和10年)度には市債費が運賃収入の96%にまで膨れ上がっていた[注釈 19][41]。
震災後の経営不振
年表
前史
1903年(明治36年)
8月22日:馬車鉄道の東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めることで誕生した東京電車鉄道(電鉄[16])が、品川 - 新橋間を開業。
9月15日:東京市街鉄道(街鉄)が数寄屋橋 - 神田橋間を開業[42]。
11月1日:街鉄 日比谷(日比谷公園) - 半蔵門間が開業。
11月25日:電鉄 芝口(芝口一丁目) - 上野間が電化開業。
12月29日:街鉄 神田町 - 両国間・半蔵門 - 新宿間が開業。
1904年(明治37年)
1月31日:街鉄 須田町 - 本郷四丁目間が開業。
2月21日:電鉄 本銀町角 - 馬喰三丁目 - 浅草橋間・浅草橋 - 横山町三丁目 - 本町角間がそれぞれ単線一方通行で電化開業。
2月25日:電鉄 浅草橋 - 雷門間が電化開業。
3月18日:電鉄 雷門 - 田原町 - 菊屋橋・合羽橋 - 上野停車場前 - 上野間が電化開業。田原町 - 上野停車場前間は菊屋橋経由が上野方面、合羽橋経由が雷門方面への単線一方通行。東京電車鉄道が全線電車化。
5月15日:街鉄 数寄屋橋 - 茅場町 - 両国間・茅場町 - 亀住町間が開業。数寄屋橋を数寄屋橋内に改称。
6月21日:街鉄 日比谷(日比谷公園) - 三田(本芝)間が開業。
9月6日:街鉄 三宅坂 - 青山四丁目間が開業。
11月8日:街鉄 本郷四丁目 - 上野広小路間が開業。本郷四丁目の須田町方面を本郷三丁目に改称。
12月8日:東京電気鉄道(外濠線)が土橋(新橋駅北口) - 御茶の水間を開業。
12月17日:街鉄 小川町 - 俎橋間が開業。
1905年(明治38年)
4月3日:外濠線 土橋 - 虎ノ門内間が開業。
4月5日:外濠線 御茶ノ水 - 東竹町(竹町)間が開業。
5月12日:外濠線 東竹町(竹町) - 神楽坂(神楽坂下)間が開業。
6月3日:街鉄 両国 - 亀沢町間が開業。
7月18日:街鉄 上野広小路 - 西町間・亀沢町 - 小島町間が開業。
8月12日:外濠線 神楽坂(神楽坂下) - 四谷見附間が開業。
9月15日:外濠線 四谷見附 - 葵橋間が開業。
9月17日:街鉄 西町 - 小島町間が開業。
10月:東京の地理教育を目的に、3社による当時の路線をうたった歌として「東京地理教育電車唱歌」(全52番)が発表される。
10月11日:街鉄の桜田門 - 霊南坂間と外濠線の葵橋 - 虎ノ門間が開業。街鉄霞ヶ関 - 霊南坂間の一部と外濠線葵橋 - 虎ノ門間の一部が被るために共用線として同時に開業。路線としての外濠線が全通。
11月23日:外濠線 師範学校前 - 神田松住町間が開業。
12月29日:街鉄 半蔵門 - 三番町間が開業。
1906年(明治39年)
1月20日:街鉄 三番町 - 市ケ谷見附間が開業。三番町を招魂社脇(招魂社横)へ改称。
3月3日:外濠線 信濃町 - 天現寺橋間が全線専用軌道で開業。外濠線と線路が繋がっていないため車両のやり取りは街鉄線を経由して行われた。
3月21日:街鉄 俎橋 - 飯田橋が開業。
4月13日:街鉄 三原橋 - 蓬莱橋間が開業。
8月2日:電鉄 菊屋橋経由の上野停車場 - 田原町間が複線化。それに伴い合羽橋経由が廃止。
9月11日:電鉄・街鉄・外濠線の3社が合併し、東京鉄道(東鉄)成立。
9月12日:東京鉄道としての運行が開始。
1907年(明治40年)4月:東京市会において東京鉄道の買収を決議。
1911年(明治44年)
7月31日:東京鉄道の買収について東京市営の許可がおりる。
8月1日:東京市が東京鉄道を買収。東京市電気局を開設し、東京市電となる。
8月22日:王子電気軌道(王電)が大塚 - 飛鳥山上間を開業。
12月31日:東京市電で日本の交通事業史上初のストライキが行われる[43]。
1917年(大正6年)12月30日:城東電気軌道、錦糸町 - 小松川間を開業。
1921年(大正10年)8月26日:西武軌道、淀橋 - 荻窪(現・荻窪駅南口)間を開業(10月1日、武蔵水電に合併[44]。さらに1922年(大正11年)6月1日帝国電燈に合併)。
1922年(大正11年)
6月11日:玉川電気鉄道(玉電・1907年(明治40年)開業)渋谷 - 渋谷橋間を開通。
11月16日:帝国電燈、西武鉄道(旧社)に鉄軌道事業を譲渡[45]。
1924年(大正13年)3月29日:京浜電気鉄道品川駅(現・北品川駅)と接続、直通運転を開始。
1925年(大正14年)3月20日:女性の車掌68人が乗務を開始[46]。
1926年(大正15年)6月11日:東京市電自治会(労働組合)が15年度大会を開催。全自治会員15000人が労働農民党へ入党することなどを議決[47]。