高円寺線・荻窪線(総称して杉並線)を例外として、それ以外の全路線の軌間が1372mmである。東京電車鉄道の前身である東京馬車鉄道がこの軌間を採用し、東京市街鉄道、東京電気鉄道も追随した。国際標準軌の1435mmと、国鉄在来線などのいわゆる狭軌の1067mmの中間のサイズ(どちらかというと前者に近い)であり、馬車鉄道に由来することから、馬車軌間と呼ばれることが多い。日本では、都電(旧市電)との関連からこれを選択した後述するいくつかの東京圏の例を除けば、函館市電が採用しているのみである。また、世界的にも他に採用例は少ない。
東京馬車鉄道が1882年の開業時に1372mm軌間を選んだ理由は不明である[164]。ニューヨークの馬車鉄道がかつてこの軌間を採用していたのに倣ったとする説[165] があるが、ニューヨークの馬車鉄道は当初から1372mmではなく1435mmの標準軌を採用していたためこの説は誤りだとする反論[164]がある。
現存の私鉄線では、都内に残るもう一つの軌道線である東急世田谷線(旧玉川電気鉄道、開業時は1067mm)と、軌道線として開業し、後に鉄道路線となった京王電鉄京王線(旧京王電気軌道)がある。いずれも当初、市電(都電)との乗り入れをもくろんで、選択したものであった。
のちに東京都交通局が運営する都営地下鉄新宿線は、京王線との直通運転のためにこの1372mm軌間で建設された[注釈 27]。このため、かつて都電への乗り入れを目的に軌間を都電に合わせた京王線に、新宿線が軌間を合わせるいわば逆転現象が起こっている。
過去の例としては、京浜急行電鉄(戦前、京浜電気鉄道時代の一時期、現在は標準軌)、京成電鉄(旧京成電気軌道 都営地下鉄浅草線《当時は1号線》・京急線と直通運転を行なうため標準軌に改軌する以前)、新京成電鉄(1067mm→馬車軌→標準軌と2回改軌している)、東急玉川線(大部分が廃止され、現存する東急世田谷線はその支線)・横浜市電(関東大震災により多大な被害を受けた横浜市電は急遽京王電気軌道より車両を譲り受け、車両を京王電気軌道→東京市電→京浜電気鉄道というルートで自力走行させて調達した[166])などがある。
その他の構造物など
電停標識(安全地帯用)
停留場安全地帯構造物の先端に設置されていたもの。
四角柱タイプ:戦前から設置されていたデザイン。四角柱の二面に停留場名(暗赤色地・白文字明朝体)、残り二面に地元企業・医療機関・商店などの広告が掲載されていた。上部には夜間照明用の電球を取り付ける石灯籠型のスペースがある[167]。この形態の模造品が新宿歴史博物館に5000形の模造品と共に設置されている。
安全地帯標識兼用タイプ:安全地帯を示す道路標識(英文付記タイプ)の下に停留場名称を横書きで示したデザイン。広告スペースなし、上部に電球2灯つき。自動車視認用として、軌道と垂直に設置されていた[168]。
時計つき電飾タイプ:薄緑色の棒状デザイン。上部に時計を搭載しているため先端が丸く、「しらゆり型」と称されるバス停留所標識に類似した形状。内部に蛍光灯を取り付けるスペースがあり、停留場名称(暗赤色地・白文字明朝体)および広告を記したアクリル板を内側から照射できる。時計部分も同様に蛍光灯で文字板を照らすことができる。四角柱タイプ・安全地帯標識兼用タイプからの交換などにより、都電撤去計画開始時点では安全地帯のある電停の多くに設置されていたが、荒川線のみの営業とされた後、ワンマン化に伴う電停改修で一旦姿を消した[注釈 28]。2007年に三ノ輪橋停留場のリニューアルに際して復元されたほか、2008年にリニューアルされた庚申塚停留場や、荒川車庫に隣接する「都電おもいで広場」、あらかわ遊園の6152号、江戸東京たてもの園の7514号周囲にもそれぞれ建てられている。
電停標識(電柱用)
安全地帯を有する停留場ではそこまで渡る横断歩道付近、安全地帯のない停留場では電車停止位置付近の歩道電柱に設置されていたもの。改称前の旧停留場名称や近隣の名所などを副名称として小さく併記する場合もあった。(例)大和町(富士見通)、上富士前町(六義園前)
電柱上部掲示用:暗赤色地・白文字明朝体の長方形板状標識。下部に広告掲載スペースを有する。
電柱下部掲示用:弘亜社