東京都電車
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

廃止前は18、35、41系統の運行を担当していたが、都営地下鉄6号線(現・三田線)建設のため18系統および41系統は1966年(昭和41年)5月28日に廃止[注釈 25] 残る35系統も第二次撤去で廃止となったため、営業所は1968年(昭和43年)2月25日に廃止された。

跡地は大塚自動車営業所巣鴨支所に転用され、現在は巣鴨自動車営業所となっている[132][133][147][151]


駒込電車営業所・駒込電車車庫

1923年(大正12年)4月15日巣鴨電車車庫の分車庫として開設され、1937年(昭和12年)4月14日営業所に昇格した。廃止前は19系統のみの運行を担当していたが、19系統が第五次撤去で廃止されたため1971年(昭和46年)3月18日廃止された。

跡地は都営駒込二丁目アパート、豊島区立駒込図書館などになっている[132][133][152]


神明町電車営業所・神明町電車車庫

1920年(大正9年)10月1日に大塚車庫の分車庫として開設された。廃止前は20、40系統の運行を担当していたが、第一次撤去で40系統が廃止されたことで大塚電車営業所神明町分所に格下げとなり、第五次撤去で20系統が廃止されたことで1971年(昭和46年)3月18日廃止された。

跡地は都営本駒込四丁目アパート、文京区勤労福祉会館、文京区立本駒込図書館などとなっており、敷地内にある神明都電車庫跡公園には6000形6063号及び乙1形乙2号の2両が保存展示されている[132][133][149][153][154]


三ノ輪電車営業所・三ノ輪電車車庫

1913年(大正2年)6月1日開設。廃止前は21、31系統の運行を担当していたが、第四次撤去でこれらの系統が廃止されたことで1969年(昭和47年)10月26日廃止された。敷地は台東区荒川区にまたがっており、車庫への出入庫線は区境上にある道路と立体交差していた。

跡地は台東区側は都営根岸五丁目アパート、台東区立根岸図書館、荒川区側は都営東日暮里一丁目アパートとなっている[132][133][155]


南千住電車営業所・南千住電車車庫

1910年(明治43年)7月東鉄の車庫として開設された。その後1927年(昭和2年)に三ノ輪電車営業所の派出所、三ノ輪電車車庫の分車庫となり、1932年(昭和12年)4月14日に営業所に昇格した。廃止前は22系統の運行を担当していたが、第五次撤去で22系統が廃止されたことで1971年(昭和46年)3月18日廃止された。車庫敷地内には営業所の事務所棟を囲むようにループ線が敷設されており、車庫前にある南千住停留場に終着した電車はこのループ線を通って方向転換することなく折り返すことが可能な構造になっていた。

跡地は都営南千住二丁目アパートとなっているほか、1972年(昭和47年)7月に千住自動車営業所南千住分車庫が開設され、現在は南千住自動車営業所となっている[132][133][147][156][157]


柳島電車営業所・柳島電車車庫

1905年(明治38年)5月街鉄の本所車庫として開設され、1930年(昭和5年)3月20日柳島に移転した。廃止前は23、24、30系統の運行を担当していたが、第四次撤去で30系統、第六次撤去で23、24系統が廃止とされたことで1972年11月12日廃止された。都電の営業所・車庫としては三田、新宿に次いで三番目に歴史ある営業所であり、錦糸堀営業所とともに大規模撤去の最末期まで存続した営業所の一つである。

跡地は江東自動車営業所の建替工事に伴う仮車庫として使用されたのち江東区立亀島小学校となったが、2002年(平成14年)に廃校となり2008年(平成20年)からは社会福祉法人カメリア会の運営する特別養護老人ホームカメリアおよび介護保険施設キーストーン、母子生活支援施設パークサイド亀島などとなっている[132][133][157][158][159]


錦糸堀電車営業所・錦糸堀電車車庫

1923年(大正12年)8月30日本所電車車庫の分車庫として開設された。1945年(昭和20年)4月1日には戦災で焼失した城東電車営業所を統合したことで東荒川電車車庫にも車両が配備されることになり、さらに1957年(昭和32年)には新たに境川派出所を設置した。廃止前は25、28、29、36、38系統の運行を担当していたが、第三次撤去で25系統、第四次撤去で28系統、第五次撤去で36、38系統、第六次撤去で29系統が廃止されたことで1972年11月12日廃止された。柳島電車営業所とともに大規模撤去の最末期まで存続した営業所の一つである。

跡地は丸井錦糸町店となっている[132][133][160]


錦糸堀営業所境川派出所

1957年(昭和32年)4月1日開設。明治通り清洲橋通りが交差する境川交差点近くに位置し、錦糸堀営業所担当の系統のうち29、38系統の運行を分担していた。29、38系統は第六次撤去で廃止されたが、境川派出所は一足早く第五次撤去に合わせて1971年(昭和46年)3月18日に廃止された。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}跡地は葛西自動車営業所境川分車庫となったが2003年(平成15年)に閉鎖され、現在はスシロー南砂店となっている[要出典][161]


工場
電車両工場
1911年(明治44年)開設。当時は
芝区浜松町[注釈 26] にあり、浜松町工場と称していた。元は東京電車鉄道の修理工場であり、1903年(明示36年)の開業時に前身の東京馬車鉄道の修理場を整備拡充してできたものである[162]。1920年(大正9年)10月には芝浦6号埋め立て地に芝浦支場[162]、1921年(大正10年)8月には当時の本所車庫内に本所仮工場を開設した[162]が、1923年(大正12年)の関東大震災で浜松町、本所両工場が焼失し[162]、震災後は芝浦支場に全機能が集約した。電車の修繕・改修に加え新性能車の開発やトロリーバス車両の整備も行っていた[163]が、車両工場としては1969年(昭和44年)6月に廃止され電車の整備は馬込車両工場から各電車営業所への出張工事となった[127]。工場自体は引き続き都営バスの自動車整備工場や教習所(青山から移転)として使用されたが、それも1991年7月に江東区の交通局東雲庁舎内にある都営バス深川営業所に移転し[163]、跡地は芝浦アイランドのA1 - A3地区として再開発された。
芝浦倉庫
芝区新芝町(のち港区西芝浦一丁目を経て芝浦三丁目)に立地。市電・都電の資材置き場があった。前述の芝浦の電車両工場へ向かう引き込み線は東京港口から旧海岸通りを進み竹芝橋手前で分かれ、そのまま旧海岸通りを芝浦二丁目から船路橋まで行く線の他に、竹芝橋を渡らず芝浦運河通りを行く線が存在し、鹿島橋を渡った先の交通局芝浦倉庫へ引き込まれていた。
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:323 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef