東京都立小山台高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分16.1秒 東経139度42分13.2秒 / 北緯35.621139度 東経139.703667度 / 35.621139; 139.703667
東京都立小山台高等学校(とうきょうとりつこやまだいこうとうがっこう、英: Tokyo Metropolitan Koyamadai High School[1])は、東京都品川区小山三丁目に所在する東京都立高等学校。 1922年(大正11年)、東京府立第八中学校として創立。「敬愛・自主・力行」を教育目標としている[2]。 1924年(大正12年)、現校地に旧校舎の一部が竣工した。府立八中が小山の地に決定した経緯は分かっていないが[3]、当時東急目蒲線(現:東急目黒線)が開設目前であり、東京府が今後この地域が住宅地域の中心となることを予想したのではないかとされている。当初の目蒲線の予定路線は現在より北側となっていたらしく、それに合わせて正門を北側に設けたところ、実際には南側を通ることとなり、当時の小山駅(現:武蔵小山駅)からは裏門が近いという結果となった。 当時は急激な宅地化に伴い、荏原郡周辺一帯の旧制中学校への進学率が急増していた頃であり、仮校舎でもまず授業を始めるという住民の思いも後押しして、順次旧制中学や高等女学校が開設されていった。大正・昭和と続く戦前のこの時代、進学実績では一高合格者総数でベスト10入りしていた。 1943年(昭和18年)に都制施行に伴い、東京都立第八中学校と改称。戦後の学制改革により東京都立第八新制高等学校、1950年(昭和25年)に東京都立小山台高等学校と改称する。都立第八新制高等学校から校名を変更する際、「武蔵」「西陵」「小山」などが新校名の候補となった。所在地の町名から「小山高校」が検討されたが、栃木県立小山高等学校と混同される恐れがあるとして、地元に親しみのある隣接町名の「小山台」の「台」が付けられた[4]。 1950 - 1960年代は、連年東京工業大学合格者数全国1位を達成し、理工系に強い高校として知られていた。また、東京大学合格者数も全国ベスト10に入る年もあった。1970年代以降、学園紛争と学校群制度の影響で進学実績が大きく落ち込んでから低迷が続き、1980年代以降のグループ合同選抜制度の下では難関大学への進学実績が大きく落ち込んだ。 2004年(平成16年)度から都の重点支援校として3年間の指定を受けたことを契機に学校改革が推進されるようになった。土曜授業の復活、120講座を超える長期休業中の講習やサテライト講習の導入など進学指導体制の確立を目指した改革が行われ、難関大学への進学実績が徐々に向上している。 2007年(平成19年)には、難関大学への進学実績向上を目指す都立高校として駒場・国分寺・新宿・町田の各校と共に「進学指導特別推進校」に指定された。現在、一般入試においては都の共通問題を全科目で使用している。
概要
沿革
年表
1922年(大正11年)8月24日 - 東京府荏原郡平塚村小山に東京府立第八中学校として設立。
1935年(昭和10年) - 東京府立第八夜間中学校(現在の定時制の前身)が設立。
1943年(昭和18年)7月1日 - 都制施行により東京都立第八中学校と改称。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により東京都立第八新制高等学校となる。