東京湾
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概説東京湾の範囲[注釈 5] 海底地形図上の東京湾海底谷[注釈 6]

千葉県東京都神奈川県に面し、浦賀水道[注釈 7]が湾口となっている。

現代行政上、広義では、千葉県館山市洲埼灯台から神奈川県三浦市剣埼灯台まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す[4][5]

狭義には三浦半島観音崎房総半島富津岬を結んだ線の北側[注釈 8]、広義には三浦半島の剱崎と房総半島の洲崎を結んだ線より北側、すなわち浦賀水道[注釈 9]を含んだ海域を指す。

狭義の海域については、気象庁津波予報区としては「東京湾内湾」と称する[6][4]。狭義の東京湾の面積は922 km2。広義の面積は、1,320 km2 である。

内湾部の水深は比較的浅く、富津岬沖には「中ノ瀬」と呼ばれる台地が広がる。

江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。これにより湾内には明治・大正期に造られた海堡(かいほ)を始め、70を超える人工島がある[7]。これに対して、自然島は横須賀市沖の猿島及び鋸南町沖の浮島など決して数は多くない。

関東平野が海と接する湾奥部は、江戸時代には幕府のお膝元である江戸が栄え、東京奠都以降、現代に至る首都圏が形成されている。東京湾の各港湾は、首都圏約4000万人の生活や経済を支える物流の要を担っている[8]

元々遠浅で砂地の海岸が多かったため、各所で埋め立てが進められてきた。埋立地の大部分は、工業地帯もしくはベッドタウンとして利用されている。現在残されている自然の砂浜は、千葉県の木更津市以南のみとなっている。

埋立地を利用した港湾が点在し[注釈 10]、横須賀港には米軍横須賀基地海上自衛隊横須賀地方隊の基地がある。港湾近くで発展した京浜工業地帯京葉工業地域は、加工貿易で国を富ませてきた日本の心臓部である。バブル景気の頃から、オフィス街臨海副都心幕張新都心)も開発され、バブル崩壊後は、超高層マンションの建設ラッシュや大型ショッピングセンターの新規オープンなどが相次ぐ。
東京湾海底谷

外湾部では陸から離れた沖[注釈 11]の海底は急激に深くなっており、水深500m以上に達する東京湾海底谷が認められる[9]。この海底谷は西方の相模トラフへ合流する。

河川を通じて東京湾に流れ込んだ有機物沈殿しており、栄養が豊富な深海という特異な環境が東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのためメガマウスミツクリザメなど世界的に希少な深海魚が捕獲されることがある[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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