東京時代
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なお、憲法名や国号にちなんで、「戦前」ではなく「大日本帝国」、「戦後」ではなく「日本国」と呼ぶ書籍もある[6][7]

こうした時代区分法は、現在から過去の歴史を見て区分する方法である。だが、時代の変遷により、現在の時代区分の枠組みが変化する可能性もはらんでいる。例えば、東京から外の都市に遷都した後の時代や、東京が別の都市名に変更した後の時代は、「東京時代」とは別の名称となる。

川勝は提唱すると同時に、東京時代は既に終わったとして、「西洋文明を受容する時代は終わりました。室町時代が終わったように、東京時代も終わったのです。そうすると、新しい日本の形をどういうふうにしてあらわすか、という段取りになります。」と述べている[2]
旧来の時代との違い

「東京時代」の特徴として、川勝は「東京は西洋文明変電所」という点を挙げている[2]

旧来の時代の特徴を見ると、奈良平城京)や京都平安京)が首都だった時代、特に安土桃山時代までは、奈良や京都といった政権所在地が、東洋文明を受け入れてその終着地になって来た。江戸時代は、対中国と対オランダと対李氏朝鮮と対琉球と対蝦夷を除いて鎖国されており、徳川幕府の政権所在地である江戸は、「外国文明を日本全域に波及させる場所」とはならなかった。

しかし、東京が首都となった後の日本を見ると、東京が西洋文明を受け入れる窓口となり、西洋文明が東京で日本化され、日本化された西洋文明が東京から全国に波及した。そして、日本化された西洋文明を求めて、人々が東京に集まった。これらを象徴するキーワードが、1870年代の「文明開化」や、1960年代の「あゝ上野駅」である。
脚注・出典^ しかし、東京遷都の詔が出されておらず「東京奠都」(新たに都を建てる)であって「京都」は都としての価値を消失しておらず、また「東京(東の京)」という命名からも意味する様に、「東京は天皇が一時的に行幸(旅行)されているに過ぎず、いずれ京都にお戻りになられるおつもりであろう」とする意見も京都府民を中心に根強くある。
^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 川勝平太2004年10月12日講演録
^ 但し憲法制定以前は「主権者」の概念はなかった
^ 室町時代を「足利時代」、江戸時代を「徳川時代」と呼ぶ例も、政権を握っている王朝にちなんだ時代区分である。ただし江戸時代(=徳川時代)を見ても、江戸時代の中の細かい区分として「元禄」「享保」「化政」「幕末」といった元号や世相に則った名称も用いられている。
^ 地球の裏側から日本を見て 2004年2月5日「日本の時代区分」
^ 由井正臣著、岩波ジュニア新書『大日本帝国の時代―日本の歴史〈8〉』
^斎藤彰「大日本帝国時代の教育」

関連項目

日本の首都

日本近代史

東京

東京市

東京都

外部リンク

「東京時代」という語を用いているサイトを紹介する。

全国大阪弁普及協会
- ウェイバックマシン(2002年2月20日アーカイブ分)

日本海学とグローカルヒストリー 川勝平太2003年8月9日講演録 日本海学推進機構


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