東京急行電鉄
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8月 田園都市株式会社が多摩川台地区で土地分譲開始(後に高級住宅街の代名詞となる田園調布地区[41])。

11月1日 目蒲線 目黒駅 - 蒲田駅間全線開通。


1924年(大正13年)10月25日 武蔵電気鉄道が社名変更し(旧)東京横浜電鉄発足。

1926年(大正15年)2月14日 (旧)東京横浜電鉄、丸子多摩川駅 - 神奈川駅間開通。目蒲線と相互乗り入れし、目黒駅 - 神奈川駅間直通運転開始。

1927年昭和2年)8月28日 (旧)東京横浜電鉄、渋谷駅 - 丸子多摩川駅間開通。渋谷駅 - 神奈川駅間直通運転開始。東横線と呼称。

1928年(昭和3年)5月5日 目黒蒲田電鉄が田園都市株式会社を合併。

1929年(昭和4年)

7月3日 (旧)東京横浜電鉄が日吉台の土地(23万7600m2)を慶應義塾大学へ寄付

12月25日 目黒蒲田電鉄、大井町線 大井町駅 - 二子玉川駅間全線開通。


1932年(昭和7年)3月31日 (旧)東京横浜電鉄、東横線 渋谷駅 - 桜木町駅間全線開通。

1934年(昭和9年)

10月1日 目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(池上線)を合併。

11月1日 (旧)東京横浜電鉄、東横百貨店を開業。


1936年(昭和11年)12月24日 五島慶太が電鉄両社の取締役社長に就任。

1937年(昭和12年)12月1日 目黒自動車運輸および芝浦自動車を合併。

1938年(昭和13年)

1月 東京タクシーを設立。

4月1日(旧) 東京横浜電鉄が玉川電気鉄道(玉川線)を合併。

10月20日 江ノ島電気鉄道が(旧)東京横浜電鉄傘下に入る。


1939年(昭和14年)

10月1日 目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を吸収合併。

10月16日 目黒蒲田電鉄が(新)東京横浜電鉄に商号変更。

11月21日 横浜市街自動車を買収。


1940年(昭和15年)

3月30日 東横学園設立。

12月23日 横浜市街自動車は東横タクシーに商号変更。


1941年(昭和16年)

9月20日 五島慶太が(旧)小田急電鉄(同年3月1日鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併して社名変更)社長に就任

11月25日 五島慶太が京浜電気鉄道社長に就任


「大東急」の時代

1942年(昭和17年)

5月 箱根強羅ホテルを買収。

5月1日 京浜電気鉄道および、小田急電鉄を合併、(旧)東京急行電鉄に商号変更。


1943年(昭和18年)7月1日 大井町線列車が溝の口まで乗り入れ開始。

1944年(昭和19年)

2月19日 五島慶太が運輸通信大臣就任に伴い、社長を辞任。

2月24日 篠原三千郎が取締役社長に就任。

5月31日 京王電気軌道を合併。

9月14日 戦時統合により横浜川崎地区のタクシー事業者21社を東横タクシーに統合。


1945年(昭和20年)

1月16日 戦時統合により東京都内のタクシー事業者を4社に統合するため、日東自動車と東京タクシーを中心に11社1個人の経営統合が決定。

3月12日

平山孝が取締役社長に就任。

草軽電気鉄道を買収。


3月14日 渋谷、新宿、横浜、京王の4営業局を改組し渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王の6管理部を設立。

6月1日 相模鉄道から同社運輸事業の管理を受託。相模管理部を新設し神中線(後の厚木線→相鉄本線)の営業管理を行う。

8月20日 小宮次郎が取締役社長に就任。

9月26日 大川博の命名により東横タクシーが神奈川都市交通に商号変更。

12月1日 経営統合した東京都内のタクシー事業者が日本自動車交通を設立。

12月29日 日本自動車交通が日本交通に商号変更。


1946年(昭和21年)

3月1日 小林中が取締役社長に就任。

8月1日 組織を支社制に再編成し、渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王、相模の各管理部を支社に改組。


1947年(昭和22年)

3月15日 江ノ島電気鉄道が東急グループから離脱。

3月25日 神奈川都市交通、伊藤福一ら東急出身経営陣が東急の持株を譲受し、東急グループから離脱。

5月31日 相模鉄道厚木線の営業管理受託終了。相模支社を解消し同線の運営は相鉄管理に戻る。

8月 五島慶太が東条内閣に属していたため、公職追放の指定を受ける。

10月16日 井田正一が取締役社長に就任。


1948年(昭和23年)

5月1日 会社再編成に伴い百貨店業を分離、東横百貨店(現:東急百貨店)を設立。

6月1日 会社再編成により京浜急行電鉄(品川、横浜支社)、小田急電鉄(新宿支社)、京王帝都電鉄(京王支社、後の京王電鉄)を設立。渋谷支社と目黒支社が残留し再編後の東京急行電鉄を形成。独立した3社は東京急行電鉄から各々鉄軌道・自動車路線を譲り受けて営業開始。


東京急行電鉄再発足以後

1948年(昭和23年)

8月23日 東急横浜製作所(後の東急車輛製造)を設立。

12月27日 鈴木幸七が取締役社長に就任。


1949年(昭和24年)5月16日 東京急行電鉄、東京証券取引所に再上場。

1950年(昭和25年)

8月1日 東横線に急行列車が復活。

10月2日 旧本社社屋竣工(渋谷区桜丘町)。


1951年(昭和26年)

6月30日 日本交通の東急系持株(約5割超)のほとんどを日東自動車の創業家の川鍋家に譲渡。

8月6日 五島慶太が公職追放を解除。

8月25日 東横百貨店と玉電ビルを結ぶ空中ケーブルカー「ひばり号」(ロープウェイ)が運行開始。1953年廃止。


1952年(昭和27年)5月6日 五島慶太が取締役会長に就任。

1953年(昭和28年)

1月19日 城西南地区(現:多摩田園都市)開発構想を発表。

7月1日 東急病院開業。

12月17日 東急不動産を設立。

12月31日 新日本興業(現:東急レクリエーション)がグループ入り。


1954年(昭和29年)

5月1日 国民相互銀行がグループ入り。

5月6日 五島昇が取締役社長に就任。

10月16日 東横線に5000系(旧型)車両を導入。


1955年(昭和30年)4月1日 学校法人五島育英会を設立。

1956年(昭和31年)

1月31日 東急観光を設立。

6月1日 亜細亜大学がグループ入り。

10月10日 東横興業(現:東急ストア)を設立。

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