東京急行電鉄
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また、2022年には目黒蒲田電鉄創立から100周年を迎えた[注釈 51]
「大東急」の名残としての4私鉄の関係

前述の歴史的な沿革から、小田急電鉄・京浜急行電鉄・京王電鉄は、現在でも東急(旧・東京急行電鉄)が各社の株式200万株程度を保有する主要株主である。さらにこの4社は相互に株式持ち合いを行う関係にある。また、五島昇が社長・会長を務めていた当時は、東急系の小田急・京急・京王帝都各社の非常勤取締役に就いており、系列の東急エージェンシー東急レクリエーションは、現在でも上記3社とは資本的・人的関係を有するのも大東急の名残といえる。加えて、大東急記念文庫は、東急のほか、発足後の小田急・京急・京王各社が出資して設立され、現在もなお、これら4社が経営している。

また、合併されていた東急・小田急・京急・京王は現在でも電動車の形式記号に「モ」ではなく「デ」を使用している。

また、健康保険組合も東横目蒲電鉄健康保険組合(1935年4月1日設立)を祖とし、大東急時代に東京急行電鉄健康保険組合となり、これが東京西南私鉄連合健康保険組合と名称変更した。その後、1967年1月に東横百貨店が東急百貨店健康保険組合を設立し、また、1978年9月に小田急電鉄が小田急グループ健康保険組合を設立して分離した。2019年(令和元年)現在、東急・京急・京王はグループ会社を含め、東京西南私鉄連合健康保険組合に加盟している。なお東急・京急・京王グループのほか、相模鉄道・東映・関東バスも東京西南私鉄連合健康保険組合に加盟している[39]
年表

前身企業である田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および(旧)東京横浜電鉄から大東急までの各会社の時代の詳細な年表は、それぞれ「
田園都市(株)」、「目黒蒲田電鉄」、および「東京横浜電鉄」の各社史年表を、多摩田園都市開発に関しては「多摩田園都市開発年表」を参照のこと。

ダイヤ改正の詳細は「東急電鉄のダイヤ改正」を参照のこと。

前史

1918年大正7年)9月2日 田園都市株式会社設立。

1921年(大正10年)

4月 渋沢栄一が、第一生命矢野恒太に田園都市株式会社の経営を依頼。

6月 小林一三が、矢野恒太から田園都市株式会社の経営を依頼され、実質的に経営するようになる[40]


1922年(大正11年)

6月 田園都市株式会社、洗足田園都市の土地分譲開始(後の洗足地区)。

9月2日 田園都市株式会社の鉄道部門を分離独立させ目黒蒲田電鉄設立。

10月2日 五島慶太が目黒蒲田電鉄の専務取締役に就任(武蔵電気鉄道取締役と兼務)。


1923年(大正12年)

3月11日 目黒線 目黒駅 - 丸子駅(現在の沼部駅)間開通。

8月 田園都市株式会社が多摩川台地区で土地分譲開始(後に高級住宅街の代名詞となる田園調布地区[41])。

11月1日 目蒲線 目黒駅 - 蒲田駅間全線開通。


1924年(大正13年)10月25日 武蔵電気鉄道が社名変更し(旧)東京横浜電鉄発足。

1926年(大正15年)2月14日 (旧)東京横浜電鉄、丸子多摩川駅 - 神奈川駅間開通。目蒲線と相互乗り入れし、目黒駅 - 神奈川駅間直通運転開始。

1927年昭和2年)8月28日 (旧)東京横浜電鉄、渋谷駅 - 丸子多摩川駅間開通。渋谷駅 - 神奈川駅間直通運転開始。東横線と呼称。

1928年(昭和3年)5月5日 目黒蒲田電鉄が田園都市株式会社を合併。

1929年(昭和4年)

7月3日 (旧)東京横浜電鉄が日吉台の土地(23万7600m2)を慶應義塾大学へ寄付

12月25日 目黒蒲田電鉄、大井町線 大井町駅 - 二子玉川駅間全線開通。


1932年(昭和7年)3月31日 (旧)東京横浜電鉄、東横線 渋谷駅 - 桜木町駅間全線開通。

1934年(昭和9年)

10月1日 目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(池上線)を合併。

11月1日 (旧)東京横浜電鉄、東横百貨店を開業。


1936年(昭和11年)12月24日 五島慶太が電鉄両社の取締役社長に就任。

1937年(昭和12年)12月1日 目黒自動車運輸および芝浦自動車を合併。

1938年(昭和13年)

1月 東京タクシーを設立。

4月1日(旧) 東京横浜電鉄が玉川電気鉄道(玉川線)を合併。

10月20日 江ノ島電気鉄道が(旧)東京横浜電鉄傘下に入る。


1939年(昭和14年)

10月1日 目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を吸収合併。

10月16日 目黒蒲田電鉄が(新)東京横浜電鉄に商号変更。

11月21日 横浜市街自動車を買収。


1940年(昭和15年)

3月30日 東横学園設立。

12月23日 横浜市街自動車は東横タクシーに商号変更。


1941年(昭和16年)

9月20日 五島慶太が(旧)小田急電鉄(同年3月1日鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併して社名変更)社長に就任

11月25日 五島慶太が京浜電気鉄道社長に就任


「大東急」の時代

1942年(昭和17年)

5月 箱根強羅ホテルを買収。

5月1日 京浜電気鉄道および、小田急電鉄を合併、(旧)東京急行電鉄に商号変更。


1943年(昭和18年)7月1日 大井町線列車が溝の口まで乗り入れ開始。

1944年(昭和19年)

2月19日 五島慶太が運輸通信大臣就任に伴い、社長を辞任。

2月24日 篠原三千郎が取締役社長に就任。

5月31日 京王電気軌道を合併。

9月14日 戦時統合により横浜川崎地区のタクシー事業者21社を東横タクシーに統合。


1945年(昭和20年)

1月16日 戦時統合により東京都内のタクシー事業者を4社に統合するため、日東自動車と東京タクシーを中心に11社1個人の経営統合が決定。

3月12日

平山孝が取締役社長に就任。

草軽電気鉄道を買収。


3月14日 渋谷、新宿、横浜、京王の4営業局を改組し渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王の6管理部を設立。

6月1日 相模鉄道から同社運輸事業の管理を受託。相模管理部を新設し神中線(後の厚木線→相鉄本線)の営業管理を行う。

8月20日 小宮次郎が取締役社長に就任。

9月26日 大川博の命名により東横タクシーが神奈川都市交通に商号変更。

12月1日 経営統合した東京都内のタクシー事業者が日本自動車交通を設立。

12月29日 日本自動車交通が日本交通に商号変更。


1946年(昭和21年)

3月1日 小林中が取締役社長に就任。

8月1日 組織を支社制に再編成し、渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王、相模の各管理部を支社に改組。


1947年(昭和22年)

3月15日 江ノ島電気鉄道が東急グループから離脱。

3月25日 神奈川都市交通、伊藤福一ら東急出身経営陣が東急の持株を譲受し、東急グループから離脱。


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