東京市
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1895年(明治28年)頃から、東京府と東京市の二重行政が問題視され、東京市廃止の議論が始まる。1898年(明治31年)10月1日、東京・大阪両市有志同盟の請願が結実し「市制特例撤廃法」が成立、東京市に一般市制が施行され、東京府庁内に市役所が開かれた。府知事の市長兼務は廃止されて、東京市長は市会が3名推薦して、政府がその中から1人を市長に任命する制度となり、初代市長には松田秀雄が任命された。1926年(大正15年・昭和元年)からは市議の互選により市長が選出されるようになった(詳細は「東京都知事一覧」を参照)。
市域拡張1907年以前の東京市地図(ブロックハウス・エフロン百科事典

日露戦争[† 2]を機に日本が世界の一等国[† 3]の仲間入りをしたという自負が国民の中に生まれた[3][4]。また日露戦争により日本は軽工業から重工業に産業の中心が移り[5]、東京?横浜間には徐々に京浜工業地帯が形成されはじめた[6]。東京市の人口は日露戦争終戦直後の1906年(明治39年)に初めて200万人を突破した[7]が、1908年(明治41年)の約219万人をピークに1913年(大正2年)には約205万人に減少した。そうした中でも東京市周辺の人口は増加を続けており、市内と周辺で相反する状況になった(詳細は国勢調査以前の日本の人口統計を参照)。

大正年間に入る頃から大東京という表現が見られるようになったが、それは多くの場合、従来の東京市(15区)と近隣5郡(荏原郡豊多摩郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡の各全域。豊多摩郡は南豊島郡と東多摩郡が1896年(明治29年)に合併して成立)の町村に、しばしば北多摩郡砧村千歳村を加えた地域を指していた。これは現在の東京都区部(東京23区)の区域に相当する。

1914年大正3年)7月28日に第一次世界大戦が勃発(1918年(大正7年)11月11日終結)、これにより日本は1915年(大正4年)下半期から大戦景気に沸き、市内も周辺も人口が増加し、大戦景気は1920年(大正9年)3月まで続いた。同年4月1日に豊多摩郡内藤新宿町を四谷区へ編入。同年10月1日に行われた第1回国勢調査では、東京市の人口は約217万人だった。

1922年(大正11年)4月24日には旧都市計画法に基づき、当時の交通手段で東京駅から1時間の範囲、半径約16kmの範囲を目安に「東京都市計画区域」が定められた。その区域は上記の「大東京」の範囲と一致する。同年10月2日には、当市を含む人口の多い6市が六大都市となった。

1923年(大正12年)9月1日に関東大震災関東地震)が発生、東京市も被災し特に下町が大打撃を受けた。この影響で東京市の人口は減少し、1925年(大正14年)10月の第2回国勢調査では、同年4月に第二次市域拡張を実施した大阪市に人口・面積ともに抜かれてしまった。1930年(昭和5年)10月の第3回国勢調査では、人口200万人台を回復したものの、大阪市との差が拡大する結果となった(詳細は都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位を参照)。結局、当初の市域のままの東京市が大阪市を抜き返すことはなかった。

1932年(昭和7年)10月1日、東京市は市域拡張を実施し、近隣5郡60町22村を編入して新たに20区を置き、東京35区となった[8]1936年(昭和11年)10月1日に北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区へ編入し、現在の東京都区部の範囲が確定した。
廃止「東京都制」も参照

第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日に内務省主導で東京都制が施行され、東京府と東京市が廃止されて東京都が設置されるとともに、旧東京府庁と旧東京市役所の機能は東京都庁に移された。東京都と旧東京府は管轄区域が同じであるため、旧東京府域を指す呼称に「東京都」を用いることができる一方、旧東京市域を指す呼称がなくなり、「東京都区部」と称することになった。

旧東京市35区は、従来どおり議会(区会)をもつ自治体としての性格を保ちながらも東京都の直轄下の区とされ、従来は東京市の吏員が任命されていた区長には官吏が任命されることとなり、東京都長官の指揮監督を通じて内務省による統制が強化された[9][10]

終戦後の1947年(昭和22年)3月15日、旧来の東京35区は東京22区に再編され、同年5月3日の地方自治法施行により同法の定める特別区となった。同年8月1日に旧練馬町ほか4村の区域が板橋区から分離して練馬区が成立、東京23区となって現在に至っている。
行政区画1932年(昭和7年)・1936年(昭和11年)近隣町村編入図

1878年明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法により以下の15区が編成される。
麹町区神田区日本橋区京橋区芝区麻布区赤坂区四谷区牛込区小石川区本郷区下谷区浅草区本所区深川区

1889年(明治22年)5月1日 - 15区の区域で市制施行。
郡区町村編制法の15区とは範囲が若干異なる(詳細は東京15区#明治22年(1889年)の15区を参照)。

1898年(明治31年)10月1日 - 一般市制を施行。

1920年大正9年)4月1日 - 豊多摩郡内藤新宿町を四谷区に編入。

1932年昭和7年)10月1日 - 近隣5郡60町22村を編入、以下の20区を新たに編成[8]
旧・荏原郡 - 品川区荏原区目黒区大森区蒲田区世田谷区旧・豊多摩郡 - 渋谷区淀橋区中野区杉並区旧・北豊島郡 - 豊島区滝野川区荒川区王子区板橋区旧・南足立郡 - 足立区旧・南葛飾郡 - 向島区城東区葛飾区江戸川区

1936年(昭和11年)10月1日 - 北多摩郡砧村千歳村を世田谷区に編入。

1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。35区は東京都の行政区となる。

区の変遷一覧

■ … 発足時の
15区(のちに全て再編)

■ … 新設の20区(のちに9区は再編、11区は存続)

■ … 発足時の15区(■)の全てと新設の20区(■)のうち9区を再編した11区、および、分区された1区(練馬区)

1889年?
(明治22年?)1920年?
(大正9年?)1932年?
(昭和7年?)1936年?
(昭和11年?)1947年?
(昭和22年?)
麹町区千代田区
神田区
日本橋区中央区
京橋区
芝区港区
麻布区
赤坂区
四谷区四谷区新宿区
豊多摩郡内藤新宿町


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