東京工業大学
[Wikipedia|▼Menu]
「2023(2022-2023年シーズン)」(2022年度)は世界ランク第301-350位、アジア同点47位、国内同点5位(名古屋大学と同順位)だった[11]。また、タイムズ・ハイヤー・エデュケーションがベネッセと連携して日本の大学の評価を発表している『THE世界大学ランキング日本版2022』では、同点の大阪大学と競り合いながらも総合順位を同点第3位に確保した[12][13]

タイムズ・ハイアー・エデュケーション
世界大学ランキング 2014-20222014年2015年2016年2017年2018年2019年2020年2021年度2022年度
世界ランク141201-250251-300251-300251-300251-300301-350301-350301-350
アジア順位13162828282833=39=47
国内順位3345334=4=5

(注記)順位の数字の前にイコール記号が付く場合は、
原典の表記の通り、同点順位であることを表す。
(2021年度分から明記)

タイムズ・ハイアー・エデュケーション
世界大学ランキング 2004-20132004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年
世界ランク5199118906155112108128125
アジア順位9161613111114101313
国内順位3344443333

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[14])「東京職工学校」も参照東京高等工業学校本館(1922年)1940年(昭和15年)の本館。奥は八九式艦上攻撃機、手前は九二式戦闘機
略歴

創立年は、東京職工学校が設立された1881年明治14年)とされている。さらに源流を遡れば、1874年(明治7年)にゴットフリード・ワグネルの進言によって東京開成学校の中に設置された「製作学教場」に行き着く[15][16]

東京職工学校は1881年(明治14年)5月26日に創設され、1882年(明治15年)6月10日文部省より東京市浅草区蔵前東片町に浅草文庫の建屋を交付され、校舎新築の工事を起こした。明治初期の工業教育機関は、工部大学校東京大学工学部の前身)と東京職工学校の2校だけであった。前者がイギリス人をスタッフに迎え、鉱山・土木・電信など国土経営に関する指導者養成を目指したのに対し、後者は英独仏の大陸欧州諸国の技術教育に関する調査に基づき、手島精一ら日本人によって構想され、製造現場および工業教育の指導者養成を目的として、化学工芸科および機械工芸科の2科で発足した[17]

その後、学科課程の分化拡充を経て、東京高等工業学校となり、その所在地から長く「蔵前」と称された。1923年、関東大震災により壊滅的被害を受けたのを機に市外の東京府荏原郡碑衾村大岡山に移転。1929年の旧官立大学昇格時には、工学系8学科に加え理学系4教室を設置した。旅順工科大学大阪工業大学と共に「旧三工大」の一つとされた。太平洋戦争後の1949年、新制大学へ移行。戦後も拡充を続け、2004年に国立大学法人となった。2018年に指定国立大学法人となる。
年表分析化学教室(1931年)、現・西1号館:登録有形文化財

1881年明治14年)5月:東京職工学校設立[18]

予科および本科を設置、本科に化学工芸科と機械工芸科を設置


1890年3月:東京工業学校と改称

化学工芸部(染織工科、陶器玻璃工科、応用化学科)、機械工芸部(機械科、電気工業科)に改組


1894年6月:工業教員養成所(1902年附設工業教員養成所へ移行)を設置

1896年5月:規制改正を実施

染織工科(色染分科、機織分科)、窯業科、応用化学科、機械科、電気科(電気機械分科、電気化学分科)に改組

入学資格を中学校卒業程度とし、実質的な高等教育機関であることを明確にする


1901年5月:東京高等工業学校[注 1]と改称

前後して、工業図案科 (1900-1914[注 2])、前田松韻を招聘して建築科 (1902.12[注 3]-) を新設


1919年大正8年)1月:蔵前工業会臨時総会で大学昇格を決議、2月に日本工業倶楽部も建議書を政府に提出

1923年3月:大学昇格が正式決定するも、9月に関東大震災に罹災、実現延期を余儀なくされる

1924年4月:校舎を大岡山へ移転(現在の大岡山キャンパス)

1929年昭和4年)4月:東京工業大学(旧制)へ昇格

染料化学、紡織学、窯業学、応用化学、電気化学、機械工学、電気工学、建築学の8学科を設置

数学、物理学、物理化学、分析化学の4教室を設置

高等工業レベルの特設予科を設置(1932年附属予備部と改称)、高等工業在学生は、附属工学専門部および附属工業教員養成所に移行(いずれも1931年廃止)


1931年(昭和6年)9月:西1号館竣工

1934年(昭和9年)8月:大学本館竣工

1942年5月:附属高等工業教員養成所を設置

この間、化学工学 (1940-)、金属工学 (1941-) の2学科を新設

また、無機化学 (1930-)、有機化学 (1930-)、工業経済 (1935-) 等の教室を新設


1943年10月:特別研究生制度実施

1945年8月:太平洋戦争終結

戦時下には、航空機工学科 (1939 - 1945)、燃料工学科 (1941-1945) を設置

また、附属工業専門部を設置(1944 -, 1948廃止)


1946年2月:和田小六学長の下『東京工業大学刷新要綱』を策定し先駆的な大学改革を実施[19]

細分化した教員組織を、理学系・応用化学系・応用物理系・建築系・経営系に再編し、セクショナリズムを是正

学科制からコース別学習課程に改め、修学の自由度を向上

教養科目の充実と「クサビ型」カリキュラム[注 4]の形成


1949年5月:新制大学へ移行

工学部を設置

附属予備部および附属高等工業教員養成所を吸収


1953年4月:大学院工学研究科を設置

1955年7月:工学部を理工学部に改称

数学、物理学、化学、化学工学、機械工学、電気工学、金属工学、繊維工学、建築学、経営工学の10学科を設置


1956年4月:大学院工学研究科を理工学研究科と改称、原子核工学専攻新設

1967年6月:理工学部を理学部と工学部に分割

この間、理学系で応用物理学科 (1961 -, 1998年改組解消)、材料・化学工学系で4学科、機械系3学科、電気電子系2学科、および土木工学科 (1964 - )、社会工学科 (1966 - ) を新設

この後、理学部に情報科学科 (1970 - )、地球惑星科学科 (1992 - )、工学部に情報工学科 (1974 - ) 等を設置

また一時、工業教員養成所 (1961 - 69) を設置


1975年4月:大学院総合理工学研究科を設置、9月長津田キャンパス(現在のすずかけ台キャンパス)開設

1990年平成2年)6月:生命理工学部を設置

理学部生命理学科 (1986 - )、生体機構学科 (1988 - )、工学部生物工学科 (1986 - )、生体分子工学科 (1988 - ) を振替


1992年4月:大学院生命理工学研究科を設置

1994年4月:大学院情報理工学研究科を設置

1996年4月:大学院社会理工学研究科を設置

2004年4月:国立大学法人法の規定により国立大学法人となる

2005年4月:大学院イノベーションマネジメント研究科を設置

2009年5月 :大学マネジメントセンター設置

2016年4月:日本の大学で初めて学部と大学院を統一し、「学院」を創設

2018年3月:指定国立大学法人に指定[20][21]

2024年10月:国立大学法人東京科学大学に改称し、廃校(解散)する国立大学法人東京医科歯科大学から権利及び義務並びに業務を承継する予定(東京医科歯科大学を吸収合併)[22][23]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:211 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef