東京専門学校_(旧制)
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しかし、第1回得業式(卒業式)には来賓として鍋島直彬辻新次外山正一福澤諭吉中村正直穂積陳重北畠治房中島永元杉浦重剛野村文夫尾崎行雄ら各界の名士数十人が数えられて、開校式の大きさに匹敵する盛大さがあった[7]

また、第1回衆議院議員総選挙に当選した学苑関係議員には、高田早苗天野為之などの他、犬養毅関直彦藤田茂吉などもいた[7]
早稲田大学への移行1903年頃の高等予科校舎

東京専門学校は、明治時代に創立した私立の法律学校のうち、東京府(現在の東京都)下に所在し、とくに教育水準が高く特別許認可を受けた五大法律学校の1つであった。1886年(明治19年)に「私立法律学校特別監督条規」により、帝国大学総長の監督下となった帝国大学特別監督学校の5校のうちの1校である。

明治30年代以降、学校の運営はようやく安定を迎えてその体裁を次第に整え、大学昇格を展望して組織を改編し、1902年(明治35年)9月に「早稲田大学」への改称が認可された。東京専門学校を大学組織にした趣意は敢へて一躍現在の大学の如くしようとしたのではなく、当時の教育事情に鑑み、中学卒業生を収容し、それに簡易な大学教育を施さんとするに在つた。当時中学を卒業しても、大学の数が少い為、前進することが出来なかつたのが、教育界の一欠点であつたので、それを補足せんとするのが一の目的であつた。それを為すには従来の如く、邦語のみで教へることを主とせず、外国語をも併用し、予科を設けて、大学に入るの階梯を作る必要があつた。但し帝大の予科の三ヶ年を長しとして一年半の予科を設け、成るべく短期に高等の学問を修めしめ、官設大学の不足に対し手伝をなさんとするが趣旨であつた。 ? ?市島謙吉、『回顧録』 中央公論社、279頁大正初期の早稲田大学

ただしこの時点では、早稲田大学は制度上の大学(旧制大学)ではなかった。大学令が1918年に施行されるまでは、制度上の大学は官立の帝国大学しかなかったためである。その後、1904年(明治37年)4月に専門学校令に準拠する高等教育機関(すなわち旧制専門学校)となり、同年秋には従来からの政治経済学科、法学科、文学科に加えて商科を新設した。

1907年(明治40年)に校長・学監制を廃して総長・学長制を採用し(総長大隈重信・学長高田早苗)、翌年5月には財団法人への設立認可を受けて組織面での整備も進んだ。医学科構想は実現しなかったが1909年(明治42年)に理工科が発足し、明治末年までには大学部(5学科)、専門部、高等予科、研究科高等師範部工手学校を擁する一大学園へと発展した。

また、1907年の創立25周年を機に校歌が、1913年(大正2年)の創立30周年[注釈 8]を機に教旨が制定されるなど、現在の早稲田大学に連なるスクール・アイデンティティが確立したのもこの頃である。
国際交流の進展救世軍ブース大将の来校
(1907年4月24日)第1回米国遠征時の早大野球部
(1905年)

かつて大隈重信が「世界の道は早稲田に通ず」[20]と豪語したように、大隈邸や早稲田大学には世界各国の要人の来訪が相次いだ。有名どころとしては辛亥革命の指導者孫文、インドの詩人タゴール、ハーバード大学総長のC・W・エリオット、救世軍の創立者ウィリアム・ブースの名を挙げることができる[21]

1905年(明治38年)には清国人学生の留学熱にこたえるべく清国留学生部を設置した。これは前年に設置された法政大学の速成科とは異なり長期の高等専門教育を主眼に置いたものであり、1910年(明治43年)までの設置期間中を通じて1,000人以上の卒業生を送り出した[22]

一方、東京専門学校および専門学校令下の早稲田大学からの留学生派遣は1900年(明治33年)の坂本三郎と金子馬治の渡独が最初であり[23]、以後塩澤昌貞島村滝太郎(抱月)、朝河貫一田中穂積斎藤隆夫大山郁夫宮島綱男らが海を渡った。

1905年(明治38年)に野球部安部磯雄部長引率のもと日本の野球チームとして初のアメリカ遠征を行い、スクイズやスライディングなどの新戦術、スパイクシューズなどの用具に関する知識を学び、帰国後はこの収穫を独り占めすることなく著書や他校への指導などで普及に努めた[24]。やがて早大戸塚球場は国内試合のみならず国際試合の舞台ともなり、1908年(明治41年)11月22日には大リーグ選手6人を含めた選抜チーム(リーチ・オール・アメリカン)と早大野球部との対戦が実現した。


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