宝塚会館 1934年1月1日に開場した本劇場のメインホール。舞台の開口部は宝塚大劇場より5尺高く作られており、当時日本最大規模のプロセニアム・アーチを持っていた[14]。客席は三層構造で、中二階に常設の投光室・調光室を設けていた。レビュー劇場として誕生した背景もあり、近代的な舞台照明を設けた初の劇場だった[15]。 1934年1月1日のこけら落とし公演は月組の舞踊「宝三番叟」、オペレット「巴里のアパッシュ」、レビュウ『花詩集』[16]。 プロセニアムアーチ 高さ30尺、幅78尺、舞台奥行51尺、盆直径48尺、吊物50本、迫り3個[17] 日比谷スカラ座 日比谷スカラ座(ひびやすからざ)は、東京都千代田区有楽町一丁目の東京宝塚劇場の4階に位置した映画館。 1940年4月16日、東京宝塚劇場を擁する宝塚会館4階に開業した「東宝四階劇場」(とうほうよんかいげきじょう)がその前身。戦後、宝塚劇場は「アーニー・パイル・シアター」となり、日本人は観客としての出入りが禁止された。 接収解除から半年を経た1955年7月14日、その東宝四階劇場を発展させる形で「日比谷スカラ座」がオープン。名称は有名なイタリア・ミラノの歌劇場であるスカラ座に由来する。1,197席を誇る大劇場として数々のヒット作や大作を上映したものの、1998年1月18日に立て直しのため一旦閉鎖(閉鎖期間中は向かいに隣接していた日比谷映画(現:シアタークリエ)がチェーンマスターの代替機能を請け負っていた)、 公開年タイトル
劇場階数座席数設備
東京宝塚劇場1階2778→2476
日比谷スカラ座4階1341(1955年[8])→1197(1997年)ドルビーデジタル
東宝演芸場5階510→420
東京宝塚劇場
舞台設備
日比谷スカラ座
Hibiya Scaraza
「アーニー・パイル劇場」時代の日比谷スカラ座こと宝塚会館
情報
通称スカラ座
正式名称日比谷スカラ座
旧名称東宝四階劇場
完成1933年12月31日
開館1955年7月14日
開館公演「土と兵隊」
(東宝四階劇場)
「戦略空軍命令」
(日比谷スカラ座、アンソニー・マン監督)
閉館1998年1月18日
最終公演「エアフォース・ワン」
(ウォルフガング・ペーターゼン監督)
収容人員1,197人
設備ドルビーデジタル、DTS
用途映画上映
運営東宝株式会社
所在地〒101-0006
東京都千代田区有楽町一丁目1番3号
宝塚会館4階
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概要
代表作
1955年「戦略空軍命令」(オープニング作品)
1956年
1957年「パリの恋人」
1958年「愛情の花咲く樹」
1959年「可愛い悪魔」
1960年「5つの銅貨」、「太陽がいっぱい」
1961年「ティファニーで朝食を」
1962年
1963年「ローマの休日」(リバイバル)
1964年「パリで一緒に」
1965年
1966年「おしゃれ泥棒」
1967年「風と共に去りぬ」(リバイバル、70ミリ版)
1968年「白い恋人たち」、「チキ・チキ・バン・バン」
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