東京宝塚劇場
[Wikipedia|▼Menu]
開場以来使われてきた旧劇場は、関東大震災の復興期におけるモダニズム建築の傑作のひとつに数えられていたが、老朽化のため1997年12月29日に一旦閉場し、翌1998年1月から建替え工事を開始、2001年1月1日に新築オープンした(改築中、宝塚歌劇は2か月間帝国劇場で公演を行い、その後TAKARAZUKA1000days劇場開場と共に東京通年公演を開始した)。?(こけら)落とし公演は真琴つばさ(当時)率いる月組の『いますみれ花咲く/愛のソナタ』。
各館の特徴

宝塚会館
劇場階数座席数設備
東京宝塚劇場1階2778→2476
日比谷スカラ座4階1341(1955年
[8])→1197(1997年)ドルビーデジタル
東宝演芸場5階510→420

東京宝塚劇場

1934年1月1日に開場した本劇場のメインホール。舞台の開口部は宝塚大劇場より5尺高く作られており、当時日本最大規模のプロセニアム・アーチを持っていた[14]。客席は三層構造で、中二階に常設の投光室・調光室を設けていた。レビュー劇場として誕生した背景もあり、近代的な舞台照明を設けた初の劇場だった[15]

1934年1月1日のこけら落とし公演は月組の舞踊「宝三番叟」、オペレット「巴里のアパッシュ」、レビュウ『花詩集[16]
舞台設備

プロセニアムアーチ 高さ30尺、幅78尺、舞台奥行51尺、盆直径48尺、吊物50本、迫り3個[17]
日比谷スカラ座

日比谷スカラ座
Hibiya Scaraza
「アーニー・パイル劇場」時代の日比谷スカラ座こと宝塚会館
情報
通称スカラ座
正式名称日比谷スカラ座
旧名称東宝四階劇場
完成1933年12月31日
開館1955年7月14日
開館公演「土と兵隊
(東宝四階劇場)
戦略空軍命令
(日比谷スカラ座、アンソニー・マン監督)
閉館1998年1月18日
最終公演「エアフォース・ワン
ウォルフガング・ペーターゼン監督)
収容人員1,197人
設備ドルビーデジタルDTS
用途映画上映
運営東宝株式会社
所在地101-0006
東京都千代田区有楽町一丁目1番3号
宝塚会館4階
テンプレートを表示

日比谷スカラ座(ひびやすからざ)は、東京都千代田区有楽町一丁目の東京宝塚劇場の4階に位置した映画館。
概要

1940年4月16日、東京宝塚劇場を擁する宝塚会館4階に開業した「東宝四階劇場」(とうほうよんかいげきじょう)がその前身。戦後、宝塚劇場は「アーニー・パイル・シアター」となり、日本人は観客としての出入りが禁止された。

接収解除から半年を経た1955年7月14日、その東宝四階劇場を発展させる形で「日比谷スカラ座」がオープン。名称は有名なイタリア・ミラノの歌劇場であるスカラ座に由来する。1,197席を誇る大劇場として数々のヒット作や大作を上映したものの、1998年1月18日に立て直しのため一旦閉鎖(閉鎖期間中は向かいに隣接していた日比谷映画(現:シアタークリエ)がチェーンマスターの代替機能を請け負っていた)、
代表作

公開年タイトル
1955年戦略空軍命令」(オープニング作品)
1956年
1957年パリの恋人
1958年愛情の花咲く樹
1959年可愛い悪魔
1960年5つの銅貨」、「太陽がいっぱい
1961年ティファニーで朝食を
1962年
1963年ローマの休日」(リバイバル)
1964年パリで一緒に
1965年
1966年おしゃれ泥棒
1967年風と共に去りぬ」(リバイバル、70ミリ版)
1968年白い恋人たち」、「チキ・チキ・バン・バン


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:167 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef