東京大学
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1936年(昭和11年)7月 農学部附属水産実験所を設置[53]

1937年(昭和12年)

4月 農学部附属農業教員養成所が東京農業教育専門学校として分離独立(東京教育大学農学部の前身)。

10月 東大球場竣工[54]

12月 経済学部の矢内原忠雄教授が辞職(矢内原事件)。


1938年(昭和13年)

1月 文学部内に日本思想史講座[注釈 16]と考古学講座を新設。

2月 第2次人民戦線事件により大内兵衛教授らが検挙される。

5月 航研機が長距離飛行の世界記録を樹立。

7月 検見川総合運動場建設のため学生の集団勤労作業を実施。

12月 七徳堂(柔剣道場)落成式を挙行。


1939年(昭和14年)

1月 平賀粛学により、経済学部が壊滅状態となる。

5月 臨時附属医学専門部を設置。


1941年(昭和16年)

3月 特設防護団規程を制定(9月報国隊に包摂。終戦後廃止)。

4月 向ヶ丘弥生町の民有地を購入(?1943年。現在の浅野キャンパス)。全学会発足(終戦後解散)。

11月 東洋文化研究所を設置。


1942年(昭和17年)3月 千葉県千葉市第二工学部を設置[注釈 17]

1943年(昭和18年)10月 大学院特別研究生制度実施(1958年廃止)[55]出陣学徒壮行会に参加(明治神宮外苑競技場)。

1944年(昭和19年)1月 南方自然科学研究所を設置した。

1945年(昭和20年)

1月 輻射線化学研究所を設置した。

3月 東京大空襲により懐徳館(旧前田邸)が焼失。

7月 千葉空襲により第二工学部校舎が被災[56]

8月 敗戦により戦時的学科・講座の改廃に関する討議が始まる。

9月 GHQとの交渉により本郷キャンパスの接収回避。

11月 戦前の諸事件で教壇を追われていた経済学部教授7名が復職。図書館・研究室における禁示図書の閲覧解禁。


1946年(昭和21年)

3月 南方自然科学研究所を改組して立地自然科学研究所を設置、航空研究所を改組して理工学研究所を設置した。

4月 戦後最初の入学試験を実施。女子、専門学校、高等師範学校出身者にも門戸開放。

5月 戦後最初の入学式を挙行。女子学生19名が入学[57]

6月 東京帝国大学協同組合を設立(戦後最初の大学生協[50]

8月 社会科学研究所を設置した。


1947年(昭和22年)

6月 新大学制実施準備委員会発足。

9月 帝国大学令は国立総合大学令と改題され、東京帝国大学から「東京大学」に改称した。


1948年(昭和23年)

6月 東大マーク(旧)を制定[58]

7月31日 - 新制東京大学への認可申請書を文部省に提出(9月9日に第2回提出)。


昭和(新制)南原繁(戦後初代の東大総長〈第15代〉)イールズ声明反対闘争(1950年)壁新聞を眺める東大生(1953年)

1949年(昭和24年)

5月 新制東京大学発足。経済各学部のほか教養学部教育学部を新設。従来からの旧制東京大学・旧制附属医学専門部・旧制第一高等学校旧制東京高等学校高等科を包括[注釈 18]新聞研究所を設置。

7月 新制東京大学最初の入学式を挙行。
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