東京大学
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1943年(昭和18年)10月 大学院特別研究生制度実施(1958年廃止)[55]。出陣学徒壮行会に参加(明治神宮外苑競技場)。
1944年(昭和19年)1月 南方自然科学研究所を設置した。
1945年(昭和20年)
1月 輻射線化学研究所を設置した。
3月 東京大空襲により懐徳館(旧前田邸)が焼失。
7月 千葉空襲により第二工学部校舎が被災[56]。
8月 敗戦により戦時的学科・講座の改廃に関する討議が始まる。
9月 GHQとの交渉により本郷キャンパスの接収回避。
11月 戦前の諸事件で教壇を追われていた経済学部教授7名が復職。図書館・研究室における禁示図書の閲覧解禁。
1946年(昭和21年)
3月 南方自然科学研究所を改組して立地自然科学研究所を設置、航空研究所を改組して理工学研究所を設置した。
4月 戦後最初の入学試験を実施。女子、専門学校、高等師範学校出身者にも門戸開放。
5月 戦後最初の入学式を挙行。女子学生19名が入学[57]。
6月 東京帝国大学協同組合を設立(戦後最初の大学生協)[50]。
8月 社会科学研究所を設置した。
1947年(昭和22年)
6月 新大学制実施準備委員会発足。
9月 帝国大学令は国立総合大学令と改題され、東京帝国大学から「東京大学」に改称した。
1948年(昭和23年)
6月 東大マーク(旧)を制定[58]。
7月31日 - 新制東京大学への認可申請書を文部省に提出(9月9日に第2回提出)。
昭和(新制)南原繁(戦後初代の東大総長〈第15代〉)イールズ声明反対闘争(1950年)壁新聞を眺める東大生(1953年)
1949年(昭和24年)
5月 新制東京大学発足。法・医・工・文・理・農・経済各学部のほか教養学部と教育学部を新設。従来からの旧制東京大学・旧制附属医学専門部・旧制第一高等学校・旧制東京高等学校高等科を包括[注釈 18]。新聞研究所を設置。
7月 新制東京大学最初の入学式を挙行。
11月 生産技術研究所開所(千葉市の二工キャンパス内)。
1950年(昭和25年)
2月 旧制東京大学最後の入学試験を実施。
3月 輻射線化学研究所を廃止。
5月 文学部附属の史料編纂所を東京大学附置研究所(東京大学史料編纂所)とする。南原繁総長と吉田茂総理大臣との間で「曲学阿世」論争。
7月 乗鞍コロナ観測所開設。
11月 第1回駒場祭を開催。
1951年(昭和26年)
3月 教育学部附属中学校・高等学校を設置、第一工学部、第二工学部を改組[注釈 19]。東京大学出版会を設立。
4月 教養学部後期課程として教養学科を設置。
1952年(昭和27年)
2月 東大ポポロ事件発生。
3月 旧制附属医学専門部と立地自然科学研究所を廃止。
10月1日 東京大学創立75年記念の切手が1種(10円)が発行された。
1953年(昭和28年)
1月 第1回東京大学公開講座を開催。
3月 旧制最後・新制最初の卒業式を挙行[60]。新制の大学院を設置(人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科)。
7月 応用微生物学研究所、宇宙線観測所(全国共同利用研究所)を設置。
TAC 1959
1955年(昭和30年)3月 教育学部・社会科学研究所・新聞研究所の教室および研究室を新築。全国共同利用研究所として原子核研究所を設置。
1956年(昭和31年)9月 イラク・イラン遺跡調査団本隊出発(?1966年。団長は江上波夫教授)。
1957年(昭和32年)
4月 全国共同利用研究所として物性研究所を設置。東京大学学位規則を制定[61]。
9月 糸川英夫教授らにより初の国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功。
1958年(昭和33年)
1月 「学生大会の議題について」(いわゆる矢内原三原則)を発表[注釈 20]。
3月 初めて新制博士号を授与。
4月 薬学部設置[注釈 21]。理工学研究所を改組し航空研究所を設置。
1960年(昭和35年)
6月 安保闘争で東京大学の女子学生が死亡[63]。
10月 岡山天体物理観測所を開設。
1961年(昭和36年)11月 医学部図書館竣工。
1962年(昭和37年)
3月 旧制大学院廃止[64]。
4月 前期課程の4科類(文科一類・二類、理科一類・二類)を6科類に再編。経済学部商業学科を経営学科と改称。全国共同利用研究所として海洋研究所を設置。生産技術研究所が六本木に移転。
1963年(昭和38年)
4月 大学院人文科学研究科・社会科学研究科を改組し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を設置。
9月 駒場学生会館開館(1981年新館開館)。
1964年(昭和39年)
2月 東京大学名誉教授称号授与規則を制定[65]。
4月 航空研究所を改組し全国共同利用研究所として宇宙航空研究所を設置。
1965年(昭和40年)
3月 農学部図書館再建。
4月 大学院数物系研究科・化学系研究科・生物系研究科を改組し、理学系・工学系・農学系・医学系・薬学系の5研究科を設置。
7月 総合図書館が国連の寄託図書館となる。東洋文化研究所が大塚から本郷に移転開始(1968年完了)。
1966年(昭和41年)4月 経済学部が正門付近から赤門付近(現在の赤門総合研究棟)に移転。総合研究資料館、大型計算機センター、保健センターを設置。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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