東京大学
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1924年(大正13年)11月 上杉慎吉教授らにより七生社を結成[42]。
1925年(大正14年)
1月 ジョン・ロックフェラーが震災で被災した図書館に400万円を寄付[43]。
3月 農学部に農業経済学科を設置。
7月 安田講堂が落成した。
9月 野球部が東京六大学野球連盟に正式加盟。
11月13日 地震研究所を設置した。
1926年(大正15年)8月 前田侯爵邸地を入手(駒場の農学部用地の一部と土地交換)。
昭和(旧制)1930年春の東京帝大野球部航空研究所(1935年頃)本郷キャンパス(1936年)矢内原忠雄(のちの第16代総長)の辞職を報じる『東京朝日新聞』(1937年12月2日付夕刊2面)平賀粛学を報じる『東京朝日新聞』(1939年1月29日付朝刊11面)第二工学部本部事務室出陣学徒壮行会(東京帝大を先頭に東京・神奈川・千葉・埼玉各都県の大学・高校・専門学校計77校の出陣学徒が行進した。1943年10月。)戦後最初の東京帝国大学入学試験(1946年4月)
1927年(昭和2年)
2月 宮武外骨らにより明治新聞雑誌文庫を設立[44]。
12月 航空研究所が越中島から農学部敷地西端(現在の駒場IIキャンパス)に移転開始(1930年移転完了)[45]。
1928年(昭和3年)
1月 高等学校弁論大会擁護演説会をめぐって七生社と新人会が衝突する(七生社事件)[46][47]。
3月 三・一五事件により新人会関係者十数名が検挙される[48]。学友会解散。全学合同卒業式が復活。
11月 東京学生消費組合の一支部として赤門学生消費組合を設立[49](40年2月強制解散)[50]。
12月 ジョン・ロックフェラー2世からの寄付により[51]新図書館が完成した。
1929年(昭和4年)
3月 大学本部が安田講堂内に移転した。
7月 史料編纂掛を史料編纂所と改称した。
10月 文学部内に新聞研究室を開設(新聞研究所の前身)。
1931年(昭和6年)12月 赤門が国宝に指定される。
1934年(昭和9年)9月 文学部内に神道講座を新設[注釈 16]。
1935年(昭和10年)
2月 貴族院で美濃部達吉名誉教授の天皇機関説が攻撃される(4月著書発禁)。
4月 農学部実科が東京高等農林学校として分離独立(現:東京農工大学)。
7月 農学部が一高と用地を交換し、本郷に移転。
9月 理学部植物学教室が小石川植物園から本郷に移転[52]。
1936年(昭和11年)7月 農学部附属水産実験所を設置[53]。
1937年(昭和12年)
4月 農学部附属農業教員養成所が東京農業教育専門学校として分離独立(東京教育大学農学部の前身)。
10月 東大球場竣工[54]。
12月 経済学部の矢内原忠雄教授が辞職(矢内原事件)。
1938年(昭和13年)
1月 文学部内に日本思想史講座[注釈 16]と考古学講座を新設。
2月 第2次人民戦線事件により大内兵衛教授らが検挙される。
5月 航研機が長距離飛行の世界記録を樹立。
7月 検見川総合運動場建設のため学生の集団勤労作業を実施。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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