東京大学
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7月 法科大学の修業年限を4年から3年に短縮した[36]


1916年(大正5年)

1月 吉野作造教授が『中央公論』で「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表。

4月 伝染病研究所を設置した。


1918年(大正7年)

4月 航空研究所を設置した(7月深川区越中島に移転)。

7月 理科大学、海軍大学校選科生の入学許可。

11月 工科大学、航空学科を設置。

12月 緑会弁論部学生らにより新人会結成(1929年に解散)。


1919年(大正8年)

1月 森戸事件が起こる。

2月 分科大学制を廃し学部を設置。各学部のほか経済学部を新設。

7月 総長公選制を導入し、山川健次郎が公選総長となる。

9月 ILO代表問題高野岩三郎教授が辞職[注釈 13]


1920年(大正9年)

2月 学部通則を制定。聴講生規程を新設し、女子聴講生の入学許可(9月文学部に32名入学)[38]

10月 法学部の憲法講座が2講座制となる(美濃部達吉教授が憲法第二講座を兼担)[39]

11月 東京帝国大学学位規則を制定。授与学位を法学・医学・薬学・工学・文学・理学・農学・経済学の8種とし、林学・獣医学は農学博士に一本化。

12月 『帝国大学新聞』創刊。


1921年(大正10年)4月 学年暦を4月1日から翌年3月31日までとする。東京帝国大学記念日を3月1日から4月12日に変更。

1922年(大正11年)11月 新人会が中心となり学生連合会(学連)が結成される[注釈 14]

1923年(大正12年)

5月 学友会が成立。第1回大園遊会を開催(五月祭の起源)。

9月 関東大震災により甚大な被害を受ける。図書館の全焼により約75万冊の蔵書が焼失した[40]

11月 東京帝国大学の代々木移転断念[注釈 15]

12月 理学部に地震学科を設置。東京帝大セツルメント創立(1938年閉鎖)。


1924年(大正13年)11月 上杉慎吉教授らにより七生社を結成[42]

1925年(大正14年)

1月 ジョン・ロックフェラーが震災で被災した図書館に400万円を寄付[43]

3月 農学部に農業経済学科を設置。

7月 安田講堂が落成した。

9月 野球部東京六大学野球連盟に正式加盟。

11月13日 地震研究所を設置した。


1926年(大正15年)8月 前田侯爵邸地を入手(駒場の農学部用地の一部と土地交換)。

昭和(旧制)1930年春の東京帝大野球部航空研究所(1935年頃)本郷キャンパス(1936年)矢内原忠雄(のちの第16代総長)の辞職を報じる『東京朝日新聞』(1937年12月2日付夕刊2面)平賀粛学を報じる『東京朝日新聞』(1939年1月29日付朝刊11面)第二工学部本部事務室出陣学徒壮行会(東京帝大を先頭に東京・神奈川・千葉・埼玉各都県の大学・高校・専門学校計77校の出陣学徒が行進した。1943年10月。)戦後最初の東京帝国大学入学試験(1946年4月)

1927年(昭和2年)

2月 宮武外骨らにより明治新聞雑誌文庫を設立[44]
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