東京国際空港
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このため、専用施設としてVIP機専用スポット (V1、V2、VN、VS)[12]や旅客ターミナルビルとは別棟の中に設けられた貴賓室がある[13]。国内路線における航空機の記念飛行(ファーストフライト、ラストフライトetc)では、基本的に拠点とされる(例:ファーストフライトの出発空港、ラストフライトの最終到着空港)。

なお、アメリカ合衆国大統領、その他米国の要人は、羽田はあまり使わず、在日米軍横田基地その他米軍基地の飛行場を使って出入国する。

2014年、スカイトラックスが実施した「Global Airport Ranking 2014」において、日本の空港として初めて世界最高水準の5つ星を獲得した[14][15]。2019年3月、スカイトラックスは、世界の空港を格付けする「ザ・ワールズ・ベスト・エアポーツ・オブ・2019」において、2018年の第3位から順位を上げてシンガポール・チャンギ国際空港に次ぐ第2位として選出し、「世界一清潔な空港」「世界一の国内線空港」「世界一バリアフリーな空港」にも選出した。米情報サイト「Flight State」で、世界35カ国の国際空港のうち、定時運航率の高かった空港2位に選ばれた[16][17]。(95.04%、因みにトップは大阪国際空港(伊丹空港)の95.88%で、成田国際空港は86.38%。)
運営

空港法第4条に定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港」の一つであり、国土交通大臣が設置、管理する[18]。また、旧・第一種空港としては唯一の国管理空港である。国土交通省東京空港事務所は、羽田空港に関する飛行場管制業務のほか、羽田空港、成田国際空港下総飛行場木更津飛行場館山飛行場に関する進入・ターミナルレーダー管制業務を実施している。また、伊豆諸島の各小規模空港(リモート空港)に関する情報提供等を航空管制運航情報官が実施している。なお、コールサインについて、新島空港神津島空港は「伊豆リモート」、三宅島空港は「三宅リモート」、八丈島空港は「八丈リモート」を使用する。

空港の設置および空港機能の管理、運用については国土交通省東京空港事務所が行なっているが、各ターミナルビルの管理、運用についてはそれぞれ次のようになっている。なお、2010年10月に開業した国際線地区については日本の空港としては初のPFI事業として、国との間で事業契約を締結した民間事業者が各施設の建設・管理・運用を行なっている。

施設管理、運用会社備考
国内線地区第1・第2旅客ターミナル日本空港ビルデング株式会社
国際線地区第3旅客ターミナル東京国際空港ターミナル株式会社(TIAT=ティアット)[注釈 4]
国際貨物ターミナルビル東京国際エアカーゴターミナル株式会社
国際線地区エプロン羽田空港国際線エプロンPFI株式会社

統計
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

元のウィキデータクエリを参照してください.

東京国際空港の2022年(1月?12月)の国内線と国際線を合わせた総旅客数は、前年比90.7%増5075万5532人[19]。羽田空港 旅客ターミナル利用実績(2022年) (PDF)
就航路線別旅客数

(東京国際空港発)2022年度就航路線別旅客数/順位[20]行先旅客数国内線順位
新千歳空港約763万人上位01位
福岡空港約752万人上位02位
那覇空港約584万人上位03位
大阪国際空港約445万人上位04位
鹿児島空港約207万人上位05位
熊本空港約160万人上位08位
広島空港約148万人上位09位
長崎空港約135万人上位11位
松山空港約122万人上位14位
宮崎空港約113万人上位17位
関西国際空港約108万人上位19位
高松空港約101万人上位21位
大分空港約101万人上位22位
函館空港約093万人上位23位
旭川空港約083万人上位26位
北九州空港約082万人上位27位
小松空港約081万人上位28位
高知空港約078万人上位31位
徳島空港約076万人上位32位
岡山空港約075万人上位34位
山口宇部空港約068万人上位37位
神戸空港約067万人上位38位
秋田空港約060万人上位40位
新石垣空港約054万人上位44位
帯広空港約053万人上位45位
出雲空港約048万人上位48位

歴史
開港前の羽田今、羽田といえば、「空港」の存在を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、羽田には漁業や海苔養殖を営み、海辺の暮らしを続けてきた歴史があり、参詣行楽地としての穴守稲荷神社の賑わい、さらには京浜電気鉄道による沿線開発などにより発展してきた歴史があります。 ? 大田区ホームページより穴守稲荷神社穴守稲荷神社の千本鳥居羽田運動場羽田穴守海水浴場羽田競馬場羽田飛行場を訪れた菊池寛ら(1931年)エプロンと滑走路(1930年頃) 右奥に「トウキヤウ」の文字ターミナルおよび日本航空輸送の格納庫 左は同社の九五式二型練習機(1937年)
鈴木新田

羽田という地名の由来には、以下の説などがある[21]

地形説 - 多摩川河口で海に接する地を「ハネ」という。

地名説 - 古代の荏原郡に特に多い田のつく地名。

半田説 - 方言で半分のことを「はんだ」ということから。

地形説 - 海老取川を境に二分され、その形が海上から見ると鳥が羽を広げたよう見えることから。

土質説 - 赤土・粘土地などの「はに」に由来する。

開墾地説 - 新開地・墾田を「はりた」というが、その転訛

現東京国際空港にあたる地域は「羽田浦」などと呼ばれ、元禄天明の頃にはが一面に密生した干潟であった[22]。此地の眺望、最も秀美なり。東に滄海満々として旭日の房総の山に掛かるあり、南は玉川泥々として清流の冨峯の雪に映ずるある。西は海老取川を隔てて、東海の駅路あり、往来絡繹たり、北は筑波山峨々として、飛雨行雲の気象萬千なり。此島より相州三浦浦賀へは、午に當たりて海路凡そ八九里、南総木更津の港へは巳に當たりて海路八九里、南北総の界は卯に當たりて海路十三里計りを隔てたり、冨峯は西の方に見ゆ ? 『江戸名所図会』より(文化五年十二月)十七日、空くもりて日の出るを見ず。巳の時ばかりにやどを立ちいづ、野羽織半天を服し股引を穿ち草鞋をつく。六郷のわたりをこえて、八幡塚村の内ところどころ堤のくづれたる所おさむべきために、名主案内して、間棹をもて丈量す。 雑色村より羽田村までの道あししとて、日よけ船にのりゆく。ややありて猟師町にいり、羽田の方にむかふ。蝦取橋といふを渡りて、羽田の弁天の前なる棚橋をわたり、社に入る。 玉川弁財天といふ額を掲ぐ。ここは要島といふ所なり。別富を金生山龍王院といふ。年頃此神の宮居を遠くのぞみて一度もまうづる事なし。今日はからづもここに来れるを思ひて、白銀一つぶをささぐ。宇賀神の小祠あり、御穴宇賀神といふ。ここに常燈籠の高きありて、入来る船の目じるしとせしも、近頃はたえて、そのかたばかりを残せり ? 『調布日記』より

当時の羽田一帯は、多摩川の河口にあって魚貝類が豊富に採れたため、江戸城に新鮮な魚貝類を献上する「御菜八ヶ浦」の一つとして幕府から指定を受け、羽田は江戸湾における漁猟の優先的特権を有して繁栄した[23]


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