東京国立博物館
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博物館の年間入場者数約37万人を19日間で上回ることとなった[25]。「東京帝室博物館」現在の東京国立博物館の前身。明治5年(1872)、文部省博物館と称して上野公園に創設された。33年(1900)、東京帝室博物館と改称し、昭和22年(1947)までこの名称は使用された。陀羅尼を収める小塔と勾玉の絵あり。「第195號 有效期限 自明治39年9月 至明治39年12月博物館觀覽券壹人壹回限り此券は入塲の節門衛に交付せられたし」と記された観覧券(中央上に「東亰帝室博物館印」あり)が書き写されている。 ? 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「東京帝室博物館」より抜粋[26]
第二次大戦以降

1947年(昭和22年)5月、新憲法公布の日をもってそれまでの帝室博物館は「国立博物館」と改称、所管は宮内省から文部省へ移った。1952年(昭和27年)に文部省の機構変更にともない「東京国立博物館」と改称された。国立移管後の初代館長は安倍能成である[27]

大戦後まもない1947年9月に機関紙「博物館ニュース」が創刊されている。同ニュース創刊号の第1面には「国民と博物館 古美術品は見直されねばならない」という論説記事が掲載され、大戦前の「帝室博物館」から国民のための博物館への転換姿勢が明確に示された。第二次大戦後の博物館は、新たな展示館(東洋館、法隆寺宝物館)の建設と収蔵品の増大によって平常陳列の拡充をはかるとともに、毎年多くの特別展や特集陳列を実施してきた。中でも1965年(昭和40年)のツタンカーメン展、1974年(昭和49年)のモナ・リザ展などは大きな反響を呼び、社会的な話題となった。創立100周年の1972年(昭和47年)には「東京国立博物館所蔵名品展」、創立120周年の1992年平成4年)には特別展「日本と東洋の美」が開催され、館の歴史に関わる資料なども併せて展示された[28][27]

機構面では、1950年(昭和25年)、文化財保護委員会が設置されるとともに東京国立博物館は同委員会の附属機関となった。同委員会が1968年(昭和43年)に廃止され、これに代わって文化庁が新設されたことに伴い、博物館は文化庁の附属機関となった。中央省庁再編に伴う独立行政法人制度が発足した2001年(平成13年)には、独立行政法人国立博物館の管轄下に移り、2007年(平成19年)に独立行政法人国立文化財機構の施設となる。それに伴い数度の組織改編が行われ、機能分業による効率化と来館者の視点を取り入れを図っている[29]
新館の建設展示状況(平成館考古展示室、埴輪の展示

第二次世界大戦後の東京国立博物館では、新たな展示館の建設が相次いだ。1962年(昭和37年)には、構内南西隅に法隆寺宝物館が竣工し、2年後の1964年(昭和39年)から一般公開されるようになった。

これは、1878年(明治11年)に廃仏毀釈で困窮した法隆寺皇室が一万円を下賜し、代わりに献納された宝物300余件を収蔵展示するためのもので、その建設は長年懸案とされていたものであった。なお、この時の建物は30年ほど使用された後に取り壊され、1999年(平成11年)にレストランや資料室を備えた新・法隆寺宝物館が開館している。

1968年(昭和43年)には構内東側に東洋館が開館し、日本以外のアジアの美術品はこちらへ移された。1984年(昭和59年)には構内西側、表慶館裏手に資料館が開館し、従来公開要望の多かった、館所蔵の図書・歴史資料・写真資料などが、研究者に公開されるようになった。

博物館においては、平常陳列とともに特別展の開催も重要な事業の1つである。しかし、大規模な展覧会の場合は、本館の平常陳列を一時撤去して特別展会場とせざるをえず、恒久的な特別展会場を含む新館建設の必要性が論議されてきた。このため、構内の中長期整備計画の中でその建設地が検討され、本館西側にあった別館(大講堂などがあった)と北倉庫を取り壊して、新たな展示館を建設することとなった。特別展会場・考古資料展示室・大講堂などを含む新展示館は平成館と名付けられ、1999年(平成11年)に開館した。
施設本館本館中央ホール
本館

1932年(昭和7年)着工、1937年(昭和12年)に竣工し、翌1938年開館した。設計は公募で、渡辺仁の案が採用された。明治神宮宝物殿と同様に、日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた、形と技術の和洋折衷建築となっている[30]。鉄筋コンクリート造などの不燃式建築に和風瓦葺の屋根を載せた帝冠様式の代表的建築と紹介されることがある[31][32]。ただし、当建物については壁体の意匠が洋風でなく和風であるため帝冠様式に分類するのは誤りだとする研究者もいる[33]

2001年に「旧東京帝室博物館本館」の名称で重要文化財に指定されている[34]。展示室は1・2階に計26室あり(普段閉鎖・転用されている室を含む)、中央の大階段を取り巻いて「ロ」の字状に展示室が配置されている。日本の絵画、彫刻、工芸、書跡が展示されている。独立行政法人化以降は「日本ギャラリー」の別称を付している。本館デザイン室の活動成果が評価され平成18年度「日本デザイン学会作品賞」を受賞。

2014年現在の陳列状況は以下の通りである。

第1室?第10室(2階) - 全体を「日本美術の流れ」と題し、「仏教の美術」「茶の美術」「武士の装い」「能と歌舞伎」などの小テーマを付した展示を行っている[35]

第1室「日本美術のあけぼのー縄文・弥生・古墳」「仏教の興隆ー飛鳥・奈良」

第2室「国宝室」 - 国宝1点のみを交替で展示(絵画・書跡のみ)

第3室「仏教の美術ー平安?室町」「宮廷の美術ー平安?室町」「禅と水墨画ー鎌倉?室町」

第4室「茶の美術」

第5・6室「武士の装いー平安?江戸」

第7室「屏風と襖絵ー安土桃山?江戸」

第8室「暮らしの調度ー安土桃山・江戸」「書画の展開ー安土桃山?江戸」

第9室「能と歌舞伎」

第10室「浮世絵と衣装ー江戸」


第11室?19室(1階) - 1階は「ジャンル別展示」となっており、第11室?第16室には彫刻、漆工、金工、刀剣、陶磁、民族資料(アイヌ、琉球)、歴史資料が展示されている[35]。なお、絵画、書跡、染織の展示室はなく、これらは2階の「日本美術の流れ」の中で展示されている。かつて存在した「寄贈者顕彰室」はミュージアムショップ移転のため廃止された。

第11室 - 彫刻(仏像等)

第12室 - 漆工

第13室 - 金工、刀剣、陶磁

第14室 - 工芸(テーマ展示)

第15室 - 歴史の記録(歴史資料)

第16室 - アイヌと琉球

第17室 - 保存と修理

第18室 - 近代の美術

第19室 - みどりのライオン(体験コーナー)

第20室 - ミュージアムショップ。東京国立博物館の出版物を含め美術、考古、歴史に関係する図書およびミュージアムグッズの販売を行う。東京国立博物館運営協力会が運営および商品開発を行っている。


特別1・2室(2階) - 第1室および第10室の北側にある小展示室で、「新収蔵品展」などの企画展示が行われる。

特別3室(1階) - 第11室の北側にある小展示室で、現在は使われていない。

特別4室(1階) - 第20室の北側にある小展示室で、コインロッカールームとなっている。

特別5室(1階) - 大階段裏に吹き抜けの広大な空間をもつこの展示室は数々の名品の展示場にあてられてきた。1974年(昭和49年)にはレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「モナ・リザ」が展示され、150万人超の入場者を記録した。ツタンカーメンドラクロワの『民衆を導く自由の女神』、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』、興福寺の「仏頭」などの展示会場ともなっており、2007年(平成19年)にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』がアジアで初めて展示された。2008年から2009年にかけてはアジア各地の仏像を展示していた。2014年6?7月には台北 国立故宮博物院の『翠玉白菜』が展示された。

高円宮コレクション室(2階) - 高円宮憲仁親王憲仁親王妃久子根付コレクションの展示。

地下1階 - みどりのライオン(教育普及スペース)。2013年3月18日まではミュージアムショップがあった。

東洋館東洋館東洋館の展示(中国古代青銅器)東洋館の展示(染織)

谷口吉郎設計で、1968年(昭和43年)開館。中国、朝鮮半島をはじめ、東南アジア、インド、エジプトなどの美術品を展示している。展示室は13室(うち2室は展示はなく教育普及スペースとなっている)。独立行政法人化以降は「アジアギャラリー」の別称を付している。

耐震工事と展示設備のリニューアルのため2009年6月から2012年12月まで休館し、2013年1月2日に展示を再開した。東洋館の階数表示は、リニューアル以前には最上階が3階となっていたが、リニューアル後は従前の中2階と中3階を独立した階とみなし、最上階は5階と表示されている。


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