東京吉本
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^ 生没年不明。1931年立教大学を卒業し、毎日新聞に入社。社会部、学芸部記者を経て、1938年東京吉本に入社。45年、キネマ旬報に移り、50年には新芸術プロダクションの製作部長に招かれる。57年新芸プロをやめ、フリーの芸能評論家に(砂古口早苗 『ブギの女王・笠置シヅ子?心ズキズキワクワクああしんど?』 現代書館、2010年、99-100頁)。
^ 1932年2月東京品川生まれ。1953年実践女子大学国文科中退。東京吉本のラジオ部に入り、製作の仕事に携わる。54年、ニッポン放送文芸部に移り、57年退社。フリーの演劇プロデューサーを経て、吉田事務所を設立。石坂浩二、加賀まりこ、池部良、緒形拳などのマネジメントを手掛けた。74年6月急逝(矢野誠一 『舞台人走馬燈』 早川書房、2009年、186-188頁)。
出典^ 小島貞二 「東京吉本ラプソディ」『ザ・よしもと大解剖』 読売新聞社、1988年、59-60頁。
^ ⇒木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
^ DOCOMOMO. “ ⇒四谷第五小学校(吉本興行東京本部)”. docomomo. 2022年6月7日閲覧。
^ “ ⇒音楽の奇才発掘! 「レイモンド・スコット・ソングブック」 依田彰?Book.asahi.com” (2013年3月13日). 2013年8月22日閲覧。
^ 阿木翁助 『青春は築地小劇場からはじまった-自伝的日本演劇前史』 現代教養文庫、1994年、210頁。
参考文献
池内紀 『地球の上に朝が来る 川田晴久読本』 中央公論社、2003年 - 戦前の東京吉本の大看板・川田晴久(川田義雄)についての研究書。同じ東京吉本所属の永田キングや「吉本ショウ」についての論考も含む。
小島貞二 「東京吉本ラプソディ」『ザ・よしもと大解剖』 読売新聞社、1988年、59-61頁 - 戦前の東京吉本の歴史をコンパクトにまとめている。
瀬川昌久 『ジャズで踊って 舶来音楽芸能史』(増補決定版) 清流出版、2005年(初版は1983年) - 戦前の東京吉本における「吉本ショウ」のレビューに1章をあてている。筆者は著名なジャズ評論家。
高見順 『如何なる星の下に』 講談社文芸文庫、2011年(初版は1939年) - 主人公・小柳雅子のモデルは、戦前の「吉本ショウ」の踊り子、立木雅子と小柳咲子。戦前の東京吉本の雰囲気がよく分かる一品。
乗越たかお 『ダンシング・オールライフ 中川三郎物語』 集英社、1996年 - 戦前の「吉本ショウ」のレビューに詳しい。当時のレビュー評も掲載。
旗一兵 『喜劇人回り舞台 笑うスター五十年史』 学風書院、1958年 - 戦前の東京吉本に詳しい。筆者は戦前の東京吉本の企画制作部社員。
原健太郎 『東京喜劇 アチャラカの歴史』 NTT出版、1994年 - 東京お笑い史の中に戦前の東京吉本を位置付けた佳作。
向井爽也 『にっぽん民衆演劇史』 日本放送出版協会、1977年 - 「吉本ショウ」だけでなく、「ピッコロ座」「永田キング一党」「オオタケ・フォーリーズ」「新喜劇座」など、戦前の東京吉本が抱えていた一座に詳しい。
関連項目
吉本興業
吉本興業札幌支社
吉本興業東海支社
吉本興業広島事務所
吉本興業福岡支社
表
話
編
歴
吉本興業グループ
所属タレント
所属タレント一覧 - 過去の所属者一覧
グループ会社
現在
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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