東京ヤクルトスワローズ
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^ セ・リーグでの90敗到達球団はその後2003年まで現れなかった(横浜ベイスターズ、94敗)。
^ 日本プロ野球でシーズン最終勝率が3割を下回ったのは1961年の近鉄バファロー以来9年ぶり。これ以後、セ・リーグで勝率が3割を下回った例はなく、パ・リーグでも東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入した1年目の2005年に.281を記録した1例のみ。
^ 球団公式サイトにも1970年のみ該当者無しとある[14]
^ ヤクルトと同じくセ・リーグに属する阪神タイガース二軍が、過去に類似した名称の『阪神ジャガーズ』を名乗っていたことによる、阪神球団との権利上の問題が関係しているかは不明。
^ 日本記録は南海ホークス時代の1978年から福岡ダイエーホークス時代の1993年にかけて記録した16年連続。
^ 6月5日に1000打点、6月22日に1500試合出場、8月11日に350本塁打、8月25日に1500本安打。
^ 優勝チームとしてのワースト記録。セ・リーグでは1950年から1991年までの42年間、シーズン中に8連敗以上を記録したチームが優勝したことはなかった。その後、2015年にも9連敗を喫したが優勝している
^ 1978年の日本シリーズは、当時はデーゲーム開催だったため、六大学野球と重なったことにより神宮球場ではなく、後楽園球場で行われた。
^ この年規定投球回数に到達したのはハッカミー、高木、川崎のみであった。
^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、ヤクルトアトムズ時代から一貫してヤクルトに18年在籍し引退したフランチャイズ・プレイヤーでもある[21]
^ 1978年廣岡達朗[22]1992年1993年1995年1997年野村克也[23]はどちらも、現役時代に所属歴がない。
^ 1978年の廣岡[22]1993年1995年1997年の野村[23]はどちらも、現役時代に所属歴がない。
^ 他球団への移籍を1度も挟むことなく、球団名に「東京」がつく前から一貫してヤクルトに在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
^ ただし、MXテレビの親会社・東京新聞の関係で対中日戦のみ。
^ CS導入以前のパ・リーグプレーオフでは2005年の西武が勝率5割未満で進出している。
^ 2005年から2013年までにどちらも達成していないのは上記の4球団のみである[45]
^ セ・リーグでは4度目、パ・リーグ(後述の近鉄)を含め、5度目の事例。
^ 第1戦と第5戦は石川、第2戦が小川、第3戦は杉浦、第4戦は館山である。
^ この年は73勝52敗18分(.584)での優勝であり、2位の阪神(77勝56敗10分)より4勝少なかったが、通期の勝率1位チームが勝星で(-4)勝であったのはNPB史上初である。
^ 山崎は第1戦と第2戦と第4戦で、宮本は第3戦、青木が第5戦と第6戦、マクガフと共に東京五輪の銀メダリストとなり、4月29日に加入したパトリック・キブレハンが第7戦で務めた。
^ 第3戦以外は全て山田が務め20打数ノーヒット、それまでは1番を務めた塩見がその第3戦で3打数ノーヒットだった。
^ 1966年は大洋と同率最下位。
^ パ・リーグ記録は、1954年から1956年にかけて、大映が後楽園球場で南海に喫した21連敗[113]
^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1978年・1981年の16分が最多。
^ 国鉄の紋章動輪」に由来。球団設立当初はユニフォームの袖章にも使われた。
^ 1978年から1979年に在籍したデイヴ・ヒルトンの本塁打を出迎える写真がベースボール・マガジン社に残っている(参考:『ベースボールマガジン1994年秋季号 一冊まるごと大特集 プロ野球の華 本塁打がすごい!』 - 23ページに写真掲載)。また、1979年12月発行の漫画単行本『がんばれ!!タブチくん!!』第3巻でツバメのマスコットがホームランを打った選手を出迎えるシーンの描かれた作品が掲載されている。
^ 広島は地方開催は徐々に縮小し、現在はおこなっていない。そのため、現状セ・リーグで試合数ベースで最も多く地方開催を行っているのは阪神であるが、そのほぼ全てが京セラドーム大阪であるため、実質(開催球場ベース)は巨人がセ・リーグで最も多く地方開催を行っている。
^ なお、同様の理由で本拠地の横浜スタジアムが使用不可となるDeNAも東京ドームでの主催試合を6試合行う予定となっていた。
^ これとは別に、巨人主管の2試合(当初1試合だったが、宇都宮清原球場での1試合が球場施設損壊のため会場変更になった)が郡山総合運動場開成山野球場で行われ、福島県で3試合開催。
^ 草薙の4月の3連戦のものは東日本大震災による関東地方(東京電力営業地域)のナイター開催自粛に伴う代替。
^ 本来、2009年は秋田こまちスタジアムでの2連戦開催が計画されたが、こまちスタジアムでは全国高等学校野球選手権秋田大会の開催と重複するため開催できず、その振り替えとして福島で1試合、もう1試合は神宮で開催。
^ 5月3-5日の対読売ジャイアンツ戦、9-11日の対広島東洋カープ戦、13-15日の対中日ドラゴンズ戦。
^ ビジター用は、対広島戦(8月17日 - 19日・マツダスタジアム)で、ホーム用は、対横浜戦(8月24日 - 26日・神宮球場)で使用。
^ 大杉勝男の8番について、後年の文献では一旦永久欠番となった後広沢克己に禅譲したため失効したと、記述している物が見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、1983年11月9日の引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)では、「球団は「背番号8」を保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた。」とあり、明らかに誤りである。この発表からも、この段階で将来的には相応しい選手に与える意向があったとみられる。
^ 1978年の日本シリーズ・阪急戦のヤクルト主管(日本シリーズの場合NPB主催)4試合も学生野球の都合で後楽園だったが、この時は後楽園開催の条件として日テレに1試合だけ(第2試合)放送権を譲渡することが盛り込まれていた。それ以外の3試合はフジテレビから放送された(阪急主管の3試合も系列局の関西テレビが事実上の独占放送権を持っていたためフジテレビでの放送となった)。なおヤクルト戦共々、後楽園を当時本拠地としていた日本ハムの主催・主管試合放映権を主に持っていたテレビ朝日はこのシリーズの放映権を得ることができなかった。
^ 放送上の制作クレジットはJ SPORTS→フジテレビ単独表記であり、球団のクレジットは入っていないが、事実上、球団から公式映像制作を受託している。
^ 現在の全国独立放送協議会に相当するもの
^ 当時神宮球場で日中に大学野球が開催されており、それを優先させたため。当時、消化試合の多くはデーゲームだったこともあり、アトムズ・スワローズ主催試合の一部は横浜や、川崎球場(当時大洋ホエールズ本拠地)等を間借りして行ったことがあった。
^ 厳密には、近鉄バファローズも1978年の段階では年間総合優勝を達成できなかった(年間初優勝は1979年)が、2シーズン制の1975年後期でのステージ優勝による胴上げ(年間総合優勝は阪急ブレーブス)はあった
^ 2017年度も、5月4日・5月5日の阪神戦を対象にデーゲームを開催。これに伴って本来は原則木・金曜日(と、東京六大学野球連盟の予備日に充当している火・水曜で東京六大学連盟の試合がない場合)のデーゲームを基本使用日としている東都大学野球連盟は5月1日・5月2日の月・火曜日に前倒しを行った。
^ 2011年解散。現在のBリーグにおいてはいずれも渋谷区を本拠としたB1クラブのアルバルク東京サンロッカーズ渋谷が実在する。
^ 「1イニング連続打数安打」は、NPBでは四死球を挟む場合のみを連続記録として認めており、打数には含まれないが打者アウトとなる犠打・犠飛を挟む場合は参考記録となる。後者の例として1999年6月30日、横浜ベイスターズが対広島東洋カープ11回戦(富山市民)の5回裏に11打数連続安打を達成しているが、このケースでは犠飛が含まれるため参考記録として扱われている。
^ 2010年1月21日付・朝日新聞新潟版より。同紙上ではヤクルトの他、福岡ソフトバンクホークスも招致候補とされている。
^ サンケイアトムズ時代に在籍。
^ サンケイアトムズ時代に在籍。ロッテオリオンズに移籍。
^ 西武ライオンズから移籍。
^ 2022年6月20日現在。

出典^ a b 株式会社ヤクルト球団 第75期決算公告
^ 「交通協力会50年史」、財団法人交通協力会、1993年4月1日。
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