「有楽町線」の名称は、1973年(昭和48年)11月1日から同年12月15日までの期間で一般公募が行われ、30,591通の応募があり、2,519種類の路線名が提案された[34][35][36]。
その時の得票数第1位は「麹町線」であった[36]。しかし、「麹」の漢字が当用漢字(当時)でないため難しく親しみにくいということ、2位「有楽町線」・5位「有楽線」などの「有楽町」に関する名称がついた内容が記載されたものが多かったこと[36]、将来的に湾岸エリアに延伸する予定であり(選定当時)、延伸開通後有楽町が路線の中間点に位置することから[35]、1974年(昭和49年)1月9日に「有楽町線」と決定した[34]。
応募の中には「カンガルー線」("有"楽町・池"袋" → 有袋類の連想)というものもあったという[36]。 当路線の和光市 - 新木場間(有楽町線新線として建設された区間は含まない)の建設費用は総額4,920億円である。その内訳は土木関係費が2,961億5,032万8,000円、電気関係費が448億2,681万2,000円、車両関係費が658億5,965万4,000円、その他が851億6,320万6,000円となっている[37]。 当路線では国鉄(当時・日本国有鉄道)を除き、地下鉄・私鉄で初めて60 kgレールを採用した(本線部)[38]。60 kgレールを採用することで、レールの強度が1.5倍、耐用年数は4 - 6年長くなる[39]。軌道構造は地下区間では従来から直結軌道を採用してきたが、振動・騒音が大きいことから、本路線では新たに「防振マクラギ構造」を採用した(民有地近辺)[38]。初期はレールと枕木の間にゴムパッドを、枕木は防振ゴムで覆うものであったが、新富町開業以降、枕木部はレール支持部下に防振ゴム、防振パッド、防振クッションから構成される防振装置を敷き、レール間下を中空とした新しい構造を採用した[38][40]。バラスト軌道区間においても、軌道下に防振マットまたは防振シートを敷き、いずれも振動・騒音低減に大きな効果を発揮した[38]。
建設費用
軌道構造
沿革
1962年(昭和37年)10月16日:第8号線、谷原町 - 江東橋間(中村橋 - 錦糸町間)の地方鉄道敷設免許を申請[10]。
1964年(昭和39年)6月4日:東京都交通局が8号線中村橋 - 錦糸町間の地方鉄道敷設免許を申請(のち10号線免許取得のため1968年7月に取り下げ)[41]。
1968年(昭和43年)
6月6日:第8号線、成増町 - 向原間及び西池袋(現・池袋) - 明石町(現・新富町)間の地方鉄道敷設免許申請と1962年に路線免許を取得していた向原 - 池袋間の起業目論見変更認可[注 9]を申請[11]。
7月22日:第8号線、谷原町 - 江東橋間(中村橋 - 錦糸町間)の地方鉄道敷設免許申請を取り下げ、上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺間)の地方鉄道敷設免許を申請[11]。