東京メトロ有楽町線
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特に千代田区麹町では三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)麹町支店の真下を通過し、ビルの基礎杭が支障することから、地上9階建て・総重量10,600 tのビルをアンダーピニング(下受け)して地下鉄トンネルを構築する大規模な工事となった[8](ただし、同ビルは2004年2月に建て替えられ、現在は麹町ダイヤモンドビルとなった)。

さらに辰巳駅を出発すると33 - 34.5‰の急勾配で地上(高架線)へと上がって、東京臨海高速鉄道りんかい線と並行、直上にJR京葉線が合流すると終点の新木場駅に到着する[6]。地下鉄成増駅前後 - 辰巳駅前後間約25 kmのトンネル連続区間は東京メトロで最長である[注 1]

月島 - 辰巳の各地下駅は東京湾が近く、高潮などの水害対策として、駅通路部に鋼鉄製の防潮扉を設置している[9]新富町の月島寄りと辰巳 - 新木場間には、トンネルの全断面を閉鎖する「防水扉」を設置している[9]。通常はトンネル上部の機械室に収容しており、非常時には下降させてトンネルへの浸水を防ぐものである[9]
都市交通審議会答申第6号

1962年(昭和37年)6月8日に答申された都市交通審議会答申第6号では、第6号線以降の地下鉄が計画され、第10号線(当時)は「中村橋方面より目白飯田橋及び浅草橋の各方面を経て錦糸町方面に至る路線」とされた[10]。この答申に基づいて、同年8月29日に告示された建設省告示第2187号では、答申の第10号線は都市計画第8号線として「中村橋駅 - 江古田 - 西落合 - 椎名町 - 目白駅 - 江戸川橋 - 飯田橋駅 - 神保町 - 須田町 - 東両国緑町 - 錦糸町駅」(17.5 km)が正式に決定した[10]

この決定を受け、営団地下鉄は1962年(昭和37年)10月16日、同時に都市計画を決定した第7号線(南北線)とともに、第8号線谷原町 - 江東橋間(都市計画上の中村橋から西にやや延伸した20.88 km)として地方鉄道敷設免許を申請した[10]。後に両路線とも東京都(東京都交通局)も路線免許を申請したことから、競願状態となる。
都市交通審議会答申第10号

1968年(昭和43年)4月10日に答申された都市交通審議会答申第10号では、第8号線は「成増及び練馬の各方面より向原及び池袋の各方面を経由し、また、中村橋方面より目白方面を経由し、護国寺、飯田橋、市ケ谷永田町有楽町及び銀座の各方面を経て明石町[注 2]方面に至る路線」に変更され、「なお、本路線中 中村橋 - 護国寺間については、輸送需要、宅地の開発等を考慮し、将来中村橋及び護国寺からの路線の延伸等を検討することとする」とされた[11]。この答申に基づいて、同年12月28日に告示された建設省告示第3731号では、第4号線(丸ノ内線)の一部であった成増 - 池袋間が第8号線に編入され、中村橋 - 錦糸町間であった第8号線は「練馬 - 銀座間の本線(16.5 km)、成増 - 小竹町間(6.3 km)及び中村橋 - 音羽間(9.1 km)の分岐線」へ都市計画路線が大幅に改訂された[11]

前述の都市交通審議会答申第6号の第8号線は、中村橋 - 目白駅 - 飯田橋駅間が経由ルートを変更して新8号線(有楽町線)に編入され[12]、飯田橋駅 - 錦糸町駅間が経由ルートを変更して第10号線(都営新宿線)に編入されたものである[12]

この変更を受け、営団地下鉄は1968年(昭和43年)6月6日、第8号線向原 - 成増町間及び西池袋 - 明石町間の地方鉄道敷設免許を申請し、併せて第4号線(丸ノ内線)として免許を所有していた池袋 - 向原間の起業目論見変更認可を申請した[11]。続いて同年7月22日上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の地方鉄道敷設免許を申請するとともに、申請中であった谷原町 - 江東橋間の免許取り下げ願を提出した[11]。6月6日の免許申請、起業目論見変更申請は、同年10月30日に交付・認可を取得し、免許取り下げは8月13日に受理された[11]。なお、上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の路線免許申請は1973年(昭和48年)10月23日に取り下げている[13]

第8号線(有楽町線)の路線免許を申請した時点では、池袋 - 明石町(現・新富町)間は1973年(昭和48年)3月開業予定、成増(現・地下鉄成増) - 池袋間は1974年(昭和49年)3月の開業を予定していた[14]。第8号線(有楽町線)のうち、練馬 - 向原(現・小竹向原)間は西武鉄道が建設し、営団地下鉄有楽町線と西武池袋線と相互直通運転を行うことを予定していた[15]

1968年(昭和43年)9月5日に営団地下鉄と西武鉄道間で相互直通運転に関する覚書を取り交わしており、営団地下鉄有楽町線と西武池袋線間の相互直通運転開始時期は1973年(昭和48年)を目途にするとされていた[16]。実際には、西武池袋線と営団地下鉄有楽町線の本格的な相互直通運転が開始されるのは、それから25年経った1998年(平成10年)である。

営団地下鉄は路線免許取得後、建設工事に向けて手続きを進めていたが、特に練馬区北町地下鉄赤塚 - 平和台付近)で用地取得が難航したことや平和台 - 要町間の地上を通る放射第36号道路との調整があり、建設工事の着手は遅れた[11](後述)。

有楽町線が最初に計画された1968年(昭和43年)時点では車両基地は成増付近に計画されていたが、既に周辺は住宅地として開発されており、用地取得の難航が予想されたため、和光市駅 - 朝霞駅間に位置した土地を取得して、和光市付近に車両基地(現在の和光検車区)を設けることとなった[17]。また、和光検車区 - 営団成増間は車庫線(回送線)として計画していたが、沿線住民などから営業線とするよう強い要望があった[18]
都市交通審議会答申第15号

1972年(昭和47年)3月1日に答申された都市交通審議会答申第15号では、第8号線の起点側が中村橋から保谷に変更され、終点側は明石町 - 湾岸間及び豊洲 - 東陽町 - 住吉町 - 押上 - 亀有間が追加された[19]


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