東京メトロ有楽町線
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営団地下鉄は路線免許取得後、建設工事に向けて手続きを進めていたが、特に練馬区北町地下鉄赤塚 - 平和台付近)で用地取得が難航したことや平和台 - 要町間の地上を通る放射第36号道路との調整があり、建設工事の着手は遅れた[11](後述)。

有楽町線が最初に計画された1968年(昭和43年)時点では車両基地は成増付近に計画されていたが、既に周辺は住宅地として開発されており、用地取得の難航が予想されたため、和光市駅 - 朝霞駅間に位置した土地を取得して、和光市付近に車両基地(現在の和光検車区)を設けることとなった[17]。また、和光検車区 - 営団成増間は車庫線(回送線)として計画していたが、沿線住民などから営業線とするよう強い要望があった[18]
都市交通審議会答申第15号

1972年(昭和47年)3月1日に答申された都市交通審議会答申第15号では、第8号線の起点側が中村橋から保谷に変更され、終点側は明石町 - 湾岸間及び豊洲 - 東陽町 - 住吉町 - 押上 - 亀有間が追加された[19]。同答申では保谷 - 練馬間は西武池袋線複々線化することが示されたほか、中村橋 - 護国寺間は削除され、護国寺 - 目白間が東京12号線に編入され、志木 - 向原間は東京13号線として分離された[19]

このうち、小竹向原駅 - 新木場駅間が有楽町線、練馬駅 - 小竹向原駅間が西武有楽町線、石神井公園駅 - 練馬駅間が西武池袋線の線増分(複々線化)としてそれぞれ開業している。終点側は京葉間の湾岸沿いに海浜ニュータウン付近まで計画されていたが[19]、ほぼ同じルートで計画されていた京葉線が当時は貨物専用線として計画が進行しており、後に旅客線へと用途が変更されたことを受けて有楽町線は新木場までの計画路線に短縮した。

答申第15号で削除された中村橋 - 目白 - 護国寺間(9.6 km)の分岐線は、不忍通り目白通り千川通りに沿うルートにて都市計画決定され現在も有効であるが、前述の通り路線免許は申請段階で取り下げられており、また東京12号線(都営地下鉄大江戸線)の支線として編入された区間[注 3]東京都交通局が免許申請を見送り[20]1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号で削除されたため、事実上の計画中止となっている[13]。なお、この分岐線の護国寺駅は現在の有楽町線と別個の駅施設として計画され、直通は考慮されていなかった。
第13号線と建設工事の遅れ

一方、上記答申第15号で新たに東京13号線は「志木 - 和光市 - 成増 - 向原 - 池袋 - 東池袋 - 目白東 - 諏訪町 - 西大久保 - 新宿に至る路線」として答申され、「なお、新宿より渋谷品川を経て羽田方面への延伸を検討する」とされた[19]。同答申では志木 - 和光市間は東武東上線複々線化することが示された[19]

既に第8号線(有楽町線)として建設していた成増 - 小竹向原間は第13号線の一部に編入され、小竹向原 - 池袋間は第8号線と第13号線が並行することとされたが、営団地下鉄はこの区間の建設着工時期が迫っていた[19][21]。このため、運輸省(当時)と協議を行い、小竹向原 - 池袋間は工事方法の変更扱いとした複々線区間とし、和光市 - 成増間は第15号答申に基づいて路線免許を申請することとした[22][21]。建設予算は1975年度より第8号線・第13号線の区別なく、有楽町線和光市 - 明石町(後に新木場)間に含まれることになった[22][21]

第13号線の制定に伴い、営団地下鉄は西武鉄道ならびに東武鉄道と協議を行い、1975年(昭和50年)8月に第8号線と第13号線との相互直通運転に関する以下に示す覚書を取り交わした[15]

第13号線和光市 - 池袋(→新線池袋→副都心線池袋)間と第8号線(有楽町線)小竹向原 - 池袋間、西武有楽町線練馬 - 小竹向原間は同時開業を前提とする[23][15]

小竹向原駅は第8号線と第13号線の列車が相互に乗り入れることが可能な配線とする[19][15]

運行形態は、都市交通審議会第15号答申を基本とする[19][15]

第13号線は東武東上線 - 和光市 - 池袋(→新線池袋→副都心線池袋)間、第8号線は西武池袋線 - 練馬 - 小竹向原 - 有楽町線新富町方面としながら、第13号線から第8号線(有楽町線)方面へはラッシュ時において1時間あたり6本程度乗り入れすることを想定する[19]。将来的は第13号線・第8号線間でダイヤに支障しない範囲で交互に直通運転を行う[19][15]

これは営団地下鉄が成増 - 小竹向原間は第8号線として建設工事に着手し、周辺住民へ「銀座へ直通できる」と宣伝して協力を得ていたことから、和光市方面から有楽町線方面へ行ける列車を設定する必要があったためである[15]。しかし、用地買収や周辺住民への建設同意の問題などから建設工事は大幅に遅れ、小竹向原 - 池袋間の第13号線施設の使用は当面見送られた[23]

また、営団地下鉄は東武東上線志木 - 和光市間の複々線化計画に合わせ、和光市駅を介して東武東上線と第13号線が相互直通運転を行うことを決定し、和光市 - 営団成増間を営業線として建設するため、同区間の地方鉄道敷設免許を申請することに変更した[15]。和光市 - 営団成増間は1978年(昭和53年)9月に着工し[24]、この時点で和光市 - 池袋間は1981年(昭和56年)9月の開業を予定したが[24]、和光市駅付近の用地買収が遅れたことから1987年(昭和62年)秋まで開業が遅れた[24]

都市交通審議会答申第15号からすれば、和光市 - 池袋間は第8号線(有楽町線)とは別路線の「第13号線」(現在の副都心線)であるが、この区間は有楽町線池袋 - 新富町間と一体で運行されることや乗客の混乱を起こさないためにも、和光市 - 池袋間も「有楽町線」と呼称することとなった[25]


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