東京メトロ半蔵門線
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車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「パープル」(#8f76d6、紫)[6]、路線記号はZ[注釈 1]
概要

1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京11号線は「二子玉川方面より三軒茶屋渋谷神宮前永田町九段下神保町および大手町の各方面を経て蛎殻町に至る路線」として初めて示された[7][注釈 2]。1972年(昭和47年)の同答申第15号では、終点が深川扇橋[注釈 3]へと延長された[8]

また、同答申では住吉 - 押上間のルートが、東京8号線(有楽町線)の一部(豊洲 - 東陽町 - 住吉 - 押上 - 亀有)として示された[8]。この時点では東京11号線との接続は予定されていなかったが、1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号において、東京11号線の計画が錦糸町、押上経由で松戸へとさらに延長され、住吉 - 押上 - 四つ木間が東京8号線との共用区間とされた。このうち渋谷 - 押上間が半蔵門線として1978年(昭和53年)から2003年(平成15年)にかけて順次開業しており、また二子玉川 - 渋谷間は1977年(昭和52年)に東京急行電鉄の新玉川線(現・東急電鉄田園都市線)として開業している。

千代田線、有楽町線に次ぐ「バイパス3路線」の一つで、銀座線の混雑緩和と渋谷副都心の発展寄与、皇居西北地区の都市再開発への貢献を狙いとしてルート設定がなされた[9]。しかし、沿線の地権者による反対運動が発生したこと[10]、さらにバブル崩壊とそれに伴う当時の営団の減収などが原因で押上までの開通が当初予定より大きく遅れることとなった。半蔵門 - 九段下間では地下鉄建設に当たっての説明不足や環境悪化を理由に一坪共有運動が起こった[11][12]。このため、営団は土地収用法を基に強制収用の申請をしたが、一連の土地買収に10年ほどの期間を要した[11]

半蔵門線は東京メトロの路線の中で全駅間の所要時間が最も短く(距離は銀座線の方が2.5 km短い)、また東京メトロの路線の中で最も駅数が少ない。一方、渋谷駅からは東急田園都市線と、押上駅からは東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)及び日光線と相互直通運転を行い、直通運転先(東急田園都市線中央林間駅 - 東武日光線南栗橋駅間)を含めた運行距離は98.5 kmにも及ぶ。これは、東京メトロの特別料金不要列車としては副都心線直通列車の海老名駅相鉄本線) - 小川町駅東武東上線)間(116.4 km)、同じく副都心線直通列車の元町・中華街駅みなとみらい線 ) - 小川町駅間(100.1 km)に次ぐ第3位の長さとなっている[注釈 4]

半蔵門線は、東京メトロの路線としては南北線とともに地上区間が存在しない路線となっている[注釈 5]

東京都内の地下鉄の中では都営地下鉄を含めて自社単独駅が最も少ない。渋谷駅から押上駅までの全14駅中、他線との連絡のない駅は半蔵門駅のみである。水天宮前駅も開業以来長い間他線との乗り換えができなかったが、2018年(平成30年)3月17日より水天宮前駅と人形町駅が連絡駅に指定されたことにより[報道 1]、それまで接続駅が無かった日比谷線との乗り換えが可能となったことで[注釈 6]、東京都内の地下鉄では唯一、すべての地下鉄路線と乗り換えが可能な路線となった。

2020年(令和2年)現在未開業の押上 - 四ツ木 - 松戸の区間については、2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号で「2015年(平成27年)までに整備着手することが適当である路線」として位置付けられている。 1998年(平成10年)からは我孫子、松戸の各市をはじめ茨城県龍ケ崎牛久つくばなどの自治体で「地下鉄11号線延伸市町協議会」も結成され、松戸から柏市南部・我孫子市布佐方面さらに茨城県までの延伸も国などへ要請しているが、現時点で開業の見通しは立っていない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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