東京メトロ千代田線
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

旅客案内上は北綾瀬駅 - 代々木上原駅間を一体の路線として扱っている[7][8]一方、綾瀬駅を境に北綾瀬駅方面と代々木上原駅方面を分けて扱う資料も存在する[3][9]。『鉄道要覧』においては令和4年(2022年)度版から北綾瀬駅 - 代々木上原駅間の路線として記載されている[10]が、それ以前は綾瀬駅を起点に北綾瀬駅までと代々木上原駅までの区間が分けて記載されていた[11]
概要

1962年昭和37年)6月8日都市交通審議会答申第6号において、東京8号線が「喜多見方面より原宿永田町日比谷池ノ端及び日暮里の各方面を経て松戸方面に向かう路線」として答申された[12]。ただし、同年8月29日の「東京都市計画高速鉄道網」の改訂(都市計画)では線形、経過地について引き続き検討するものとして、都市計画は保留とされた[12]。その後、1964年(昭和39年)1月の改訂で、日暮里を経由し松戸方面に向かう経過地について、西日暮里町屋、北千住を経て常磐線に接続し、綾瀬以遠は常磐線を線増することが示されたほか、3月の改訂で喜多見方面から原宿までの経過地について喜多見 - 代々木上原間は小田急線を線増することが示された[12]。当初の計画では、千代田線は喜多見駅から小田急線とは別線を建設し、世田谷通り地下を通って若林駒場を経由して原宿へ至るルートであったが、小田急線と競合するなど難点があることから、喜多見駅より小田急線を線増して代々木上原駅で分離する現在のルートに落ち着いた[13]

そして、同年12月16日の建設省告示第3379号において、第6号答申の東京8号線は都市計画第9号線(正式には東京都市高速鉄道第9号線)として確定し、喜多見 - 綾瀬間(32.5 km)の都市計画が決定した[12]。ただし、1968年(昭和43年)4月の答申第10号まで、都市交通審議会上は東京8号線、都市計画路線上は第9号線と、路線番号が異なっていた[12][注 2]

1972年(昭和47年)3月1日都市交通審議会答申第15号では、小田急線側に橋本 - 多摩ニュータウン中央 - 新百合ヶ丘 - 登戸 - 喜多見間が加えられ、新百合ヶ丘 - 代々木上原間は小田急線を複々線化を行うものとされた[14]。これは小田急側の多摩線建設に伴うもので、営団地下鉄では小田急線との直通運転を新百合ヶ丘までと想定していたが、小田急側の主張により本厚木までとされた[13]。このうち、代々木上原 - 綾瀬間が千代田線として1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)にかけて順次開業している。

綾瀬 - 北綾瀬間は元々車両基地(綾瀬車両基地)への回送線として建設された区間で、上記の答申・計画には含まれていないが、綾瀬車両基地周辺住民の要望を受け、1979年(昭和54年)に旅客開業した。

本路線の「千代田線」という路線名称は、東京メトロの前身の営団時代に初めて職員より募集を行ったもので[15]、応募された路線名称は1,443点、205線名に及んだ[15]。審査の結果、応募数が208名と最も多かった「千代田線」が選ばれた[15]

綾瀬駅からは常磐線各駅停車、代々木上原駅からは小田急小田原線直通運転を行っている。北千住駅以西では地下鉄としては珍しく、座席指定の有料特急列車である「小田急ロマンスカー」が地下鉄線内の一部の駅と箱根湯本駅片瀬江ノ島駅を結んでいる[16]

北千住 - 綾瀬間は、運賃計算上は常磐線との重複区間で、運賃などの扱いが異なる(後述)。連絡乗車券は、直通するJR東日本(北千住接続、常磐線亀有 - 取手間、他に一部武蔵野線)・小田急電鉄(代々木上原接続、南新宿 - 代々木八幡間、東北沢 - 小田原片瀬江ノ島唐木田間および、小田急箱根箱根湯本)の他に東武鉄道への連絡乗車券も発売している(北千住接続)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:220 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef