駅構築が深くなる新御茶ノ水駅と国会議事堂前駅では単線シールドでトンネルを掘削後、シールドトンネル間にかんざし桁を圧入してホームを構築する「めがね形駅シールド工法」で構築した[24][19]。 本路線の綾瀬 - 代々木上原間に要した建設費用は総額1,618億1,500万円である(最終的な金額)[27]。その内訳は用地費が141億700万円、土木費が692億9,700万円、車両費が273億9,000万円、その他が510億2,100万円となっている[27][注 5]。 綾瀬 - 北綾瀬間に要した建設費用は総額8億5,210万円である[29]。その内訳は土木費用が1億7,279万9,000円[29]、諸建物費用が1億6,516万1,000円[29]、電気費用が9,668万円[29]、車両費用が3億9,911万9,000円[29]、その他が1,834万1,000円となっている[29]。この建設費用は営団の自己資金による営業線改良費用として計上した[29]。
建設費用
沿革
1962年(昭和37年)6月8日:運輸省(当時)の諮問機関である都市交通審議会答申第6号において、東京8号線が「喜多見方面より松戸方面に至る路線」として答申される[12]。
1964年(昭和39年)
4月24日:営団地下鉄が第8号線(千代田線)綾瀬 - 代々木上原間を建設することを正式に決定[30]。
5月15日:第8号線、葛飾区上千葉町(現在の綾瀬)[注 6] - 渋谷区代々木大山町(現在の代々木上原)間の地方鉄道敷設免許申請[30]。路線免許申請当初の計画では、1968年度(昭和43年度)末の全線開業を計画し、建設費用は930億円を見込んだ[30]。
12月16日:建設省告示第3379号において、都市交通審議会答申第6号の東京8号線を都市計画9号線として確定[注 7][12]。
12月18日:第9号線、葛飾区上千葉町(現在の綾瀬) - 渋谷区代々木大山町(現在の代々木上原)間の地方鉄道敷設免許取得[30]。
1966年(昭和41年)7月30日:北千住 - 大手町間の建設工事に着手。以後、各区間の建設工事を順次開始[31]。
1969年(昭和44年)
9月26日:都市計画第9号線を「千代田線」と呼称決定[15][32]。
12月20日:北千住 - 大手町間 (9.9 km) 開業[32]。全列車が3両編成の5000系で運行された[32]。この時点では6000系はチョッパ制御の試験段階であり、5000系が使用された[33]。この開業により、営団地下鉄の総営業キロが100 kmを突破した[33]。
1970年(昭和45年)12月14日:全列車を3両編成から5両編成化[34]。
1971年(昭和46年)
3月20日:午後1時に大手町 - 霞ケ関間 (2.2 km) 開業[34]。