東京ゴッドファーザーズ
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つまり、リアルに描かれているように見える現実の東京のホームレスの生活の中に、「奇跡と偶然」という「虚構」が平然と入り込んでくるというのが本作の趣向であり、現実にはあり得ない出来事の連続を、いかにもありえそうな現実味と説得力をもって描いてみせるというのが本作の狙いである[3]

ホームレスは言葉通り、「家がない」ということだが、この作品においては単に「 “家”を失った人」というだけではなく「“家族”を失った人」という意味で捉えており、そういう意味で本作は「失った家族との関係を回復する物語といって良い」と今は語っている[5][13]。夢のある映画やアニメには相応しいとは言い難いホームレスを主人公に設定したのは、この企画を思いつく以前から今がホームレスという存在が気になっていたからである[14]。「豊かな時代であっても生まれてしまうが、同時に世の中が豊かであるがゆえに養われ得る存在である彼らは、街(都市)に生かされているのではないか」と思ったのが作品の発想のきっかけのひとつだった[14]。もうひとつは、都会の建物や路地にも魂は宿るのではないかという都市におけるアニミズム的考えで、主人公たちは都市に重なる異界に踏み込んで行くという発想であった[14]。今は、疑似家族のように暮らしているホームレスの3人が赤ちゃんを拾って親元に返そうとする話を軸に、彼らが奇妙な偶然が連鎖する異界に踏み込み、その道中に出会う人々や事件を通して、彼らが家族や社会との関係性を回復して行き、そんな彼らを「東京」というもう一人の主人公が見守っているという話をイメージした[14]。実際にエアコン室外機や窓などを目や口に見立てた「顔に見える風景」がさまざまなカットに仕込まれていて、それらは主人公たちを見つめる、町に住む八百万の神の姿とでもいうべきもので、その点で本作における「世界観」を表しているものだと考えられる[15]。登場人物たちの視点では、この「顔」を発見することはできず、観客のみが気付くことができる[15]。つまり本作の背景は、同じ1枚の絵でありながら「登場人物にとっての現実」と「観客にだけ見える顔のある風景=一種の虚構」という二重の情報が重なっている仕掛けになっており、ここにも虚構が仕込まれている[15]

血のつながりのない主人公たち三人の設定には「家族に見える」という条件があった[14]。それは「これからの新しい家族像」を模索して提示したというほど大げさなことではなく、「こんな感じの繋がり方の家族があってもいいのではないか」という程度の思いを今が彼らに託しただけだった。「新しい家族像はこうあるべきだ」というような定型のモデルではなく、各人それぞれの家族の在り方を模索することが必要なのではと提案するというのが今の考えであった[13]。また今は、ホームレスを弱者や不幸の代表、あるいは社会の邪魔者であるといった観点で描いたつもりはなく、3人は現実のホームレスの存在というよりも誰にでもある弱さや後悔の象徴であるとも言っている[14]。彼らはホームレスだからではなく、それぞれの人生に以前の輝きを失っているから不幸なのであり、それを回復する過程にこそ幸福があり、それがこの作品の物語そのものであるということである[14]

自分の価値観が一般的ではないからこそ作品を作って人前に出す意味があると考える今は、アニメ界の同業者が見向きもしないようなアイディアをこそ好む。つまり、「ゴミ置き場で赤ん坊を見つける」ことでストーリーが動き出す本作の物語そのものがよくそれを表していると言っている[16]。「ゴミ」はいわば同業の他者が不要として捨てたアイディアであり、赤ちゃんを拾ってくるのは、今がそうしたアイディアのゴミ置き場から自分が素晴らしいと思うアイディアを拾ってくる行為につながるからである[16]
受賞歴

第23回(平成15年度)
藤本賞奨励賞:丸山正雄

東京国際アニメフェア2004アニメアワード・コンペティション劇場映画部門優秀作品賞

同・個人賞 監督賞:今敏

同・個人賞 美術賞:池信孝


第58回(2003年度)毎日映画コンクールアニメーション映画賞

Future Film Festival(イタリア):最優秀作品賞

平成15年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門:優秀賞


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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