東京ガス
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関東地方1都6県の主要都市をガス小売営業区域とするガス会社都市ガス事業者として世界最大、日本最大手で、大阪ガス東邦ガス西部ガスと並ぶ大手4大都市ガス事業者の一角を占める[注釈 2]。導管部門の子会社に東京ガスネットワークがある。

東京証券取引所プライム・名古屋証券取引所プレミア市場上場。証券コードは「9531」。日経平均株価の構成銘柄の一つ[3]。他の都市ガス各社と同様、通常は「東京ガス株式会社」と表記され、自社の発行物でも「東京ガス」と表記されている。ただし広告などで、ロゴマークと合わせて表記する場合は、「TOKYO GΛS」と記されていることが比較的多い。

東京ガスはグループ全体で「LNGバリューチェーン」に取り組み、天然ガスを始めする資源の原料の調達から、輸送、都市ガスの製造、供給、販売、電力供給、エネルギーソリューション提供と続く、一連の事業活動を行っている。

現在のコーポレート・スローガンは『エネルギー・フロンティア』。コーポレートメッセージは、「あなたとずっと、 今日よりもっと。」。
沿革東京瓦斯株式会社本社東京瓦斯のガスタンクとガス炉

1872年明治5年) - 横浜で日本初のガス事業が始まる(のちの横浜市瓦斯局)(照明用石炭ガスを製造)。9月1日、高島嘉右衛門により、馬車道通りに街灯としてガス燈が灯ったことに始まる。

1874年(明治7年) - 東京府芝区浜崎町3番地(現港区海岸、現本社所在地、当時金杉橋)でガス製造工場(芝浜崎町工場。1897年に「第一製造所」に改称)が稼働し、銀座通りにガス灯が点灯。

1876年(明治9年) - 東京府瓦斯局が開設。

1885年(明治18年)8月28日、東京府、瓦斯局を渋沢栄一・大倉喜八郎に24万円で払下げ許可。10月1日 - 交付を受け渋沢財閥の創始者渋沢栄一浅野財閥の創始者浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社として創立される(資本金27万円)。

1893年(明治26年)7月 - 商法施行に伴い、社名を東京瓦斯株式会社と変更する。北豊島郡元橋場町字元宿1451番地(現荒川区南千住3丁目)に、創立後に自ら建設した最初のガス工場(橋場支所。1897年に「第二製造所」に改称。1973年まで千住工場)が完成。

1898年(明治30年) - 9月18日に本社を神田区錦町3丁目23番地(現千代田区神田錦町)に移転。11月には深川区猿江町(現江東区猿江、現FC東京深川グランド)に第三製造所が完成。

1912年(明治45年・大正元年) - 磯部保次により設立された千代田瓦斯株式会社を合併する。

1913年(大正2年) - 渡辺福三郎らによる川崎瓦斯株式会社を合併する。

1923年(大正12年)9月 - 関東大震災により神田錦町本社が焼失。本社機能は本郷営業所、丸ノ内ビルヂング三菱東7号館別館などを転々とする。

1930年昭和5年)2月 - 本社を東京海上ビルディング新館7階(麹町区丸ノ内1丁目6番地)に移転。

1944年(昭和19年)11月 - 横浜市瓦斯局の事業を引き継ぐ。

1945年(昭和20年)9月 - 進駐軍の東京海上ビル接収に伴い、芝の整備工場内(現本社ビル所在地)に本社を移転。

1954年(昭和29年)10月 - 中央区八重洲1丁目2?16に本社を移転(呉服橋ビルディング)。地下2階、地上8階建てビルの落成披露会には高松宮宣仁親王雍仁親王妃勢津子も出席した。

1957年(昭和32年)11月11日 - 港区芝西久保町で老朽したガス管からガス漏れが発生、家族7人が中毒死。


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