東亜国内航空
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近畿日本鉄道株式会社[2]
※いずれも2002年10月の日本航空との経営統合以前。
主要子会社日本エアコミューター株式会社
株式会社北海道エアシステム
株式会社ハーレクィンエア
外部リンク日本エアシステム(インターネットアーカイブ)
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株式会社日本エアシステム(にほんエアシステム、: JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTD、JAS)は、かつて日本東京都大田区に本社を置いていた大手航空会社航空会社コードはJAS/JD、コールサインはエアシステム(: Air System)。
会社概要

1971年5月15日日本国内航空東亜航空が合併した東亜国内航空(とうあこくないこうくう、: Toa Domestic Airlines:TDA)として発足し、1988年に国際線進出に際して社名を日本エアシステムに変更した。なお、東亜国内航空時代の航空会社コードはTDA/JD、コールサインはトーアドメス(Toa Domes)だった。

東京急行電鉄を実質的な親会社としており、45/47体制の下、国内準幹線と地方ローカル線を主力とした路線網を運航し、国際線と国内幹線を担う日本航空(JAL)、国内幹線とローカル線・国際チャーター便を担う全日本空輸(ANA)とともに、かつての日本の3大大手航空会社の一翼を担っていた。45/47体制の終焉後は国内幹線や近距離国際線にも本格的に進出し、独創的なサービスを展開することでJALやANAとの差別化を図っていた。しかし、現存する大手2社と異なり採算がとりにくい国内準幹線・地方ローカル線が主力だったために常にその経営基盤は脆弱だった上、バブル崩壊後の景気悪化と航空自由化に伴う競争激化によって経営不振に陥った。

親会社である東急もグループ再編の過程で身売り先を模索し、最終的に日本航空との経営統合が決定。2004年4月1日に株式会社日本航空ジャパン(にほんこうくうジャパン、JALジャパン)に商号変更し、日本航空ブランドの国内線運航会社に転換され、事実上消滅した。そして、その日本航空ジャパンも2006年10月1日に、株式会社日本航空インターナショナル(現商号は日本航空株式会社)に吸収合併され、名実ともに消滅した。なお、旧日本国内航空の英語名に由来する2レターの航空会社コード「JD」は、中国の新興航空会社、金鹿航空(現:北京首都航空)に転用されている。
歴史(東亜国内航空・日本エアシステム時代)
東亜国内航空TDAのロゴマーク

東亜国内航空株式会社(Toa Domestic Airlines/TDA)は、東京羽田空港を拠点に幹線と準幹線・ローカル線を運航していた日本国内航空(JDA)と広島に本社を置き大阪伊丹空港を拠点にローカル線を中心に運航していた東亜航空(TAW)の2つの航空会社が合併し、1971年5月15日に発足した(存続会社は日本国内航空)。詳細は「日本国内航空」を参照

東亜国内航空のシンボルマーク「ブラストフラワー」は、デザイナーの亀倉雄策が「大空を飛ぶ」イメージからデザインした。日本エアシステムに商号変更した際には廃止こそされなかったが、徐々に虹のロゴマークが中心になり使用されなくなった。ただし台車などの業務用器材には、2023年時点でもなお存在が確認されている[3]

発足直後の1971年7月3日に「ばんだい」号墜落事故が発生するなど前途多難な歩み出しであり、さらに1972年7月1日には運輸省からいわゆる「航空憲法」と呼ばれる45/47体制が示達されたことで、東亜国内航空には一部の幹線を除き採算の取りにくい国内ローカル線のみが割り当てられることとなり、厳しい経営を強いられた。

しかし、1972年に東京/羽田 - 大分線にボーイング727-100を投入して以降、DC-9やエアバスA300を日本で初めて導入するなど、保有機材のジェット化、大型化を行った。地方の人々の足として地方空港のジェット化にも寄与した(詳細は後述を参照)。
商号変更日本エアシステムの初代本社(1990年 - 1998年)- 虎ノ門37森ビル日本エアシステムの二代目本社 - 羽田M1ビル・新整備場(1998年 - 2006年)JAS旧整備場 - 羽田最古といわれた後の国有T101格納庫

1985年45/47体制が廃止されることになり、東亜国内航空も国際線や国内幹線への就航が可能になった。なお、国内幹線に関しては、便数は希少ながら1975年以降、段階的に東京/羽田 - 札幌/新千歳大阪/伊丹福岡の3幹線の定期運航に参入していたが、本格的な参入はこれ以降である。

1986年にはこれを受けて国際チャーター便の運航を開始したものの、その後韓国や中国への国際線定期便を運航する際に、商号の「東亜」という単語が太平洋戦争時に使用した「大東亜共栄圏」・「大東亜戦争」をイメージさせるとして、また国際定期便を運航するにあたり「国内」という名称がそぐわなくなることから、東京/成田 - ソウル/金浦線就航に先立つ1988年4月1日に株式会社日本エアシステムへと商号を変更した[4]

なお、「Japan Air System」の英語商号表記の略称「JAS」の読みは当初は「ジェイ・エイ・エス」だった。これは、日本農林規格との混用を避ける意味であえてそう読んでいたと推測される。しかし1990年代後半頃からは「ジャス」に変更されている。中国語商号表記は「日本佳速航空」で、「佳速」は「ジャス」の当て字である。この「佳速」から発展してコーポレートスローガン「GOOD SPEED ALWAYS」が生まれた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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