東亜国内航空
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エア・フィリピン RP-C1930(元JA8653)

フライ・エア TC-FLJ(元JA8464)

フライ・エア TC-FLF(元JA8293)

就航路線

 日本エアシステムの就航路線も参照。
国内線三沢空港におけるA300出雲空港におけるMD-87羽田空港第1旅客ターミナルのボーイング777型機(2004年1月)新千歳空港の自動チェックイン機自動改札機導入後の搭乗券自動改札機導入前の搭乗券

東亜国内航空時代は45/47体制の下で、運輸省の指導の下ローカル線や国内準幹線を中心として運航していた。45/47体制の撤廃後は国内線幹線や近距離国際線にも進出したものの、依然としてその多くは採算が取りにくい国内準幹線やローカル線が中心だった。1980年代以降はエアバスA300を幹線や準幹線を中心に、マクドネル・ダグラスDC-9シリーズを準幹線やジェット機乗り入れが可能なローカル線を中心に、日本航空機製造YS-11型機をプロペラ機専用空港発着のローカル線を中心に運航していた。

また、一部離島路線や地方発着ローカル線の一部は、日本エアコミューターなどの子会社がYS-11型機やサーブ 340型機を使って運航していた。
主な就航先

新千歳空港

女満別空港

旭川空港

釧路空港

帯広空港

函館空港

青森空港

三沢空港

秋田空港

花巻空港

山形空港

仙台空港

新潟空港

松本空港

小松空港

東京国際空港(ハブ空港)

成田国際空港(拠点空港)(国際線のみ)

名古屋空港

大阪国際空港(ハブ空港)

関西国際空港(拠点空港)

南紀白浜空港

岡山空港

広島空港

出雲空港

徳島空港

高松空港

高知空港

松山空港

福岡空港

北九州空港

佐賀空港

大分空港

長崎空港

熊本空港

宮崎空港

鹿児島空港

奄美空港

徳之島空港

那覇空港

国際線

国際線就航時には、将来的にアメリカ本土やヨーロッパの主要都市への就航も視野に入れていたが、バブル崩壊湾岸戦争の勃発による乗客の減少、さらには成田空港の発着枠制限といった厳しい現実に阻まれた。

特に一旦は定期運航を実現したシンガポール線、ホノルル線などは、成田空港の発着枠が制限されたことや、競合他社によって発着枠の獲得の妨害にあったためにデイリー運航が不可能だった。ツアーに利用しづらく、旅行会社に敬遠されがちで、採算が取れなかったことが早期撤退を余儀なくされた一因とされている。なお、これらの中長距離路線を運航するために、1988年にマクドネル・ダグラスDC-10-30 (ER) 型機を2機導入した。しかし、上記のような状態のため2機のうちJA8551は韓国大韓航空に1年弱リースされた後の就航となった。最長距離とされていたホノルル線は、集客などに無理が重なり、わずか3年程で運休となった。その後は香港線へとシフトした。しかし、DC-10が導入されたのは、主力のA300-600Rの機材メンテナンスや集客状況などでの機材変更程度であった。香港線も、1998年の香港国際空港開港時点で予備のA300-600Rで賄えるようになったため、2機とも2000年には、当時のJASの提携先だったノースウエスト航空(現在のデルタ航空)へ売却された。アメリカへ売却後も太平洋路線で成田を介してバンコク路線などで時折日本に里帰りしていた。その後、これら2機はオムニエア・インターナショナルINCで運用されており、時折米軍横田基地などにも飛来している。

一方、日本航空との経営統合までは中国本土の各都市への運航に尽力していた。特に日本航空や全日本空輸が就航していない西安広州昆明等の地方都市への運航に活路を見出していたこと、また韓国首都であるソウルへの毎日2往復での運航が収入源となっていたのも特徴的だった。
就航先

定期便はすべて、成田国際空港および関西国際空港発着であった。


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